頑張れ!ディスティミア

  少し前のことになりますが、日経に、最近若い世代に
見られるという、新型の抑うつ症状についての記事が
掲載されていて興味深く読みました。
 「ディスティミア」という余り聞きなれぬ名称なんですが、
典型的なうつ病との違いは、「自分の好きなことは何とか
楽しめることもある」というところだそうです。
 それに従来のうつ病患者が「何もかも自分がだめだからだ」
と、自分を責めるのに対して、このディスティミアでは「世の中
が悪い」、「自分が幸福を感じられないのは親のせい」など、
他罰的な傾向を示すと言います。
 先日当法人理事のO氏が来訪していたとき、彼も件の記事を
読んだとのことで、この話になったのですが、「あれって病気って
言えるの?」と、正直な感想をもらしていました。中高年世代で、
彼のように百戦錬磨の営業マンから見れば、まあ、そう感じるのも
無理からぬところでしょう。
 記事ではこのディスティミアの背景には、若い世代の「不平等感」
があると書かれています。「今の若い世代は、生まれ育った環境で
スタートラインから差がつきやすくなっている」というけれど、そんな
ことは今の若者じゃなくても同じことじゃないでしょうか。
 むしろ昔の方が、生まれた環境による差は激しかったとも言えます。
貧困のせいで学校へも行けずに働かなければならなかった子どもは
大勢いました。今だって途上国の多くにそういう子供達は沢山います。
 私は戦後の教育を丸ごと受けて育った世代ですが、やたらに
「自由」とか「平等」という言葉が、お題目のように唱えられていた
のを覚えています。あれから半世紀経って、見事に価値観が塗り
替えられ、「平等」は最初から実現しているべき条件となったので
しょうか。
 この国の戦後の教育は、「人は皆不平等である」という厳然とした
事実を隠蔽し、それを受け入れて闘う力を育ててこなかったのかも
しれません。
 確かに是正されるべき「不平等」はありますし、ひどい環境をそのまま
放置していいわけはありません。そのための社会的努力は勿論必要で
しょう。しかしそのことと、私達が最初から「不平等に生まれてくる」という
事実そのものを認めないこととは違います。「不平等である」ということを
受け入れてはじめてそこから出発できるのだと思います。
 人間の存在は、理念としては「平等」です。環境や条件の不平等を
受け入れたからといって、そのことが揺らぐわけではありません。
いたずらに「不平等」を嘆いて「心の病気」を抱え込んでしまうのでは、
「スタートラインの差」は広がるばかりです。
 因みに、このディスティミアには叱咤激励が有効なこともあるのだ
そうです。「『頑張れ』と言うのはご法度」のうつ病と全く違いますね。
このあたりが、「本当に病気なの?」と言いたくなる所以でしょうか。
 もっとも「心の病気」などというのは、O氏の疑問を待つまでもなく、
境界線が曖昧です。「自分は病気だ」と思うことが事態を悪化させて
いるというケースもあります。
 カウンセラーは何でもかんでも受容するだけではなく、ときには、
「ディスティミアなんて病気じゃない!」って喝を入れることも必要
なのかもしれません。
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