ヘーゲルはお好き?

 このところめっきり秋めいてきました。
かなりんお待ちかね、食欲の秋です。
そしてまた、活字中毒のかなりんには垂涎の季節、
読書の秋でもあります。
 そんな季節を迎えるにふさわしく、
知的好奇心溢れる我がCSNメンバーが集まって
かねてより企画していた「哲学を読む会」の
第1回目が昨日行われました。
 哲学に造詣の深い会員のMさんを講師役に、
総勢7名が、CSNの研修室で熱い議論を展開しました。
初秋とはいえ、未だ消えやらぬ昼下がりの残暑が、
いや増すようなひと時でした。
 テキストには、Mさんが選んでくれた木田元著
「反哲学入門」を使うことにしました。この本は、
初めて哲学に触れる人でも読み進められる
平易な文章で書かれているので、入門書としては
もってこいです。
 木田氏によれば「哲学」の原語の「philosophy」は、
古代ギリシャ語の「philosophia」の音をそのまま移した
もので、philein(愛する)という動詞と、sophia(知恵or知識)
という名詞を組み合わせて作った合成語であり、「知を
愛すること」つまり「愛知」という意味になるのだそうです。
 これを訳したのは、日本最初の本格的な西洋哲学
研究者である西周(あまね)という人で、初めは「希
哲学」と訳していたそうです。それがいつの間にか
「哲学」になってしまい、原語のもつ意味合いが全く
失われてしまったのだということです。
 もっとも、初めてこの語を抽象名詞ではっきりと
限定した意味で使ったというソクラテスも、それほど
素直な思いをこめていたわけではなさそうで、まあ
皮肉屋で有名な彼のことですから、「知を愛し求める
なんぞ無知な輩がやること」といった言外のアイロニー
が籠められていたようですが。
 ソクラテスさまのご指摘を待つまでもなく、
こうして「哲学」などひもとくほどに、我が無知ぶりは
痛感せざるを得ません。プラトンの「イディア」論は
知っていても、それが丸山眞男の近代化理論と
通ずるところがある、とか、それとハイデガーの
論理は逆の道筋を辿るとか、要するに知識が
体系的になっていないのですね。
 それについては、「文系の頭」と「理系の頭」との
違いというのを改めて感じさせられましたね。
私のような「文系」は、一つのことに熱中すると
とことん没頭して我を忘れる。「何故?」とか
「どうして?」とか全く思わないから、体系を追っていく
必要がないのです。
 それに比して「理系」は、常に「何故?」と疑問を抱く。
理論的に解明できないと納得しないところがあるので、
勢い知識も体系的になるのですね。
 恐ろしい(?)ことに我がCSNにはこの「理系アタマ」が
多い。昨日のメンバーにしても、7人のうち4人が「理系」
でした。彼らは小さい頃から森羅万象に対して「何故?」
という疑問を抱いていたらしい。小6で原田康子の
「晩夏」に感動し、ひたすら非日常的幻想を夢見ていた
かなりんとは随分違うんですね。
 昨日は、初回だったので大筋の流れを追ったような
内容だったのですが、それでも様々なテーマで話しに
花が咲きました。「宗教」と「哲学」を巡る疑問、ヘーゲル
の「精神」とデカルトの「理性」との違い、ハイデガーから
サルトルへの推移など、頭数は少なくとも、花の咲き方
は何故か「文系」。
 まあ、これに関しては、「理系組がしっかり運転しようと
しているのに、すぐに脱線させるのはダ~レだ?!」と
いう声も聞こえてきそうですが、でも面白かったですねえ。
特にMさんの博識ぶりには改めて感服です。
 我がCSNの「知を愛する面々」が繰り広げる哲学談義。
秋が深まるごとに、実りも大きく味わいが増すことだろうと
今からとても楽しみです。
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