みんな「子ども」が邪魔をする

 ゴールデンウィークも半ばと相成りました。
明日は「子どもの日」ですね。
 ところであなたの子どもは健やかに元気でいますか?
「子ども」といっても、本当の子どもではありません。
言わずと知れた自分のなかの「子ども」のことです。
我がCSNには、どうもこの頃この「子ども」の機嫌が良くなくて
屈託をかこっているメンバーが多いようで・・・。
 本当の子どもがなかなか思うように育たないのと同じく、
この「子ども」も思うようには動いてくれません。
意識では「こうしなくちゃ」と思えば思うほど、
「子ども」の反抗も強くなります。
ときには身体を直撃してくることもあります。
今男Nを悩ませている下痢はこの類いですね。
 実際に子どものいない人はいても、
この「子ども」はどんな人も持っています。
生きるエネルギーの源泉ですからね。
 しかししっかりとした大人がついていないと、
何をしでかすか分からないのは、本物の子どもと
同じです。どんな大人がついているかにもよりますね。
頭ごなしに叱りつけるか、甘やかし放題か、どちらも
子どものエネルギーは上手に発揮できません。
 私たちのなかの「大人」も頑張ってはいるのです。
いるのですが、どうも「子ども」をきちんと制御できる
だけの器量をもった「大人」は、見かけほど多くは
ないようです。
 相手がちょっと自分を馬鹿にしたような感じのとき、
むきになって自己主張したり、思うようにことが運ばないときに
ついいらだちが口調に出たり、ともすると自分の優越性を誇示したくなったり、
そういうときの自我状態を冷静に見ることができれば、
例外なく「子ども」になっていることが分かります。
 それに気づけるかどうかが、「大人の器量」に大きく関わって
くるのですね。社会人でも無自覚な人は結構います。いかにも
大人を気取って批判しているようなときでも、結構「子ども」に
支配されていることって多いのです。
 この頃社会を賑わす殺人をはじめ様々な事件は、
「どうして?」と首をひねるようなものばかりに思えますが、
それは合理的な「大人」の自我状態から見るからで、
「子ども」に支配された自我状態を想定すれば、容易に
理解できます。秋葉原からクサナギ君までそれは同じことです。
 ただし、どういうストレス状況に弱いかというのは、
人それぞれです。かなり耐性の強い人でも「泣き所」と
いうのはあるもんです。自分の「泣き所」を意識しておく
ことも、「大人」の制御力を高めることにつながります。
 私の場合は、「いかにももっともらしい言葉」とか、
「一筋の懐疑も感じられない正論」とかに出会ったときに、
「そんなのダ~イッキライ」と叫びたいFC(自由なこども)が
むくむくと頭をもたげてきます。一昔前まではそれを即口に
出しては、「変な人」視線をもろに浴びていました。
今ではそういう自分を表してもいい場と、そうではない場との
弁えくらいはついて来て、私の「大人」にも余裕が出てきました。
 「大人」を鍛えるのは手間と時間がかかります。
「子ども」が強ければ強いほど、そして幼ければ幼いほど、
それをコントロールする「大人」には、ぶれない信念、
柔軟な寛大さ、高い知性、深い内省力、鋭い洞察力、etc、etc・・・
が必要です。それでいて「子ども」を抑圧せずのびのびと
遊ばせる鷹揚さも併せ持たねばなりません。
 こういうことを実現できている人って本当に魅力的ですよね。
実際には希少な存在なのですが、私の周りにも何人かいらっしゃいます。
これは全て「自分はOK」という実感に支えられていてこそ
はじめて成し得ることでしょう。「子ども」が思い存分遊び回る
には、安全で気持ちのいい環境が不可欠ですからね。でも
いつの間にか落とし穴が掘られていたりするので油断は禁物です。
 男Nのように強力で原始的な感覚をもった「子ども」の場合は、
辛抱強い学習が必要なケースですが、「大人」の側にその準備が
できていないので、まずはそこからでしょうね。
「この世に生まれてきたのも満更ではない」まではいかずとも、
「まあ仕方ないか」くらいまではいけるんじゃないかと思っています。
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