「世の中」というもの

 先週の金曜日に「食品衛生責任者」の講習を受けてきました。
東京会場は今年度一杯満員だというので、埼玉県に申し込みました。
浦和駅から徒歩15分、「埼玉県食品衛生協会」なる古い4階建ての
ビルの会議室に、朝の10時から午後5時まで缶詰状態。
60名の定員一杯の会場には、様々な年齢層の男女が集まっていましたが、
その中には中高年の男性の姿も目立ちました。
 「いやあ、きついですなあ」と話しかけてきた男性は、自動車の
会社を営んでいて、この不況下でどうにもならずに兄弟がやっている
飲食業を始めることにしたのだそうです。まだ物件が決まらずに
苦労しているとのことでした。「自動車の方もやりながらですから
厳しいですが、食っていくためにはしょうがありませんわ」と、
疲れた表情で語っていました。
 この中には、リストラや失業でやむなく飲食業を選んだという人も
結構いるんだろうな、と思いました。そんな切羽詰まった状況にいる
人たちにとっては、「世の中」は果てしなく辛く厳しいものとして
立ちはだかっているのでしょう。
 私たちのドーナツカフェ構想など、そういう人たちから見たら
「何とノーテンキな・・・」と呆れられるような代物かもしれません。
先日掃除に行ったときに挨拶した隣の自転車屋のおじさんも、
「いやあ、商売厳しいですわ」を連発していました。
 我が家の連れ合いも私のいかにものんきそうな顔を見ていると
不安になるらしく、「あれはやったのか、これはどうするんだ」と
毎日のように問いかけてきます。彼の中では、そもそも「ドーナツと
コーヒーがメインの店」なんてもので商売が成り立つとはとても思えない
らしいのです。「それじゃ厳しいぞ、世の中そんな甘いもんじゃない」と、
苦虫を噛み潰したような顔でのたまわれます。私が軽い調子で
「一生懸命やってだめだったら、やめちゃうもん」とあっさり言ってのける
ものだから、ますます呆れ果てた顔になり、「何たる無責任!」と絶句。
彼にとって「世の中」とは、とるべき責任とそのための大変な労働に満ちた、
微塵も楽しくないものなのでしょう。
 確かに「世の中」というのは、それ程甘いものでも楽しいものでも
ありません。「何とかなるさ」とたかをくくっていれば、足元をすくわれる
こともあるでしょう。しかし、「世の中」なんてどこまでも解体していけば、
結局は個人、つまりは「自分自身」に行き着くのではないでしょうか。
自分自身が持つ欲望や感情や思想の集大成、それが「世の中」という
ものではなかろうか、と私は思っています。そして、自分と同じような、
あるいは全く違う内面を持った他者との関係をどう生きるかで、その人の
とらえる「世の中」の様相もまた変わってくるのではないでしょうか。
 畢竟、「世の中」は自分の中にしかありません。「これが世の中だ」と
差し出して示せるような実体なんてどこにもないのですから。自分という
人間の持つ不確実性に満ち、だからこそ自分の手で確実性を獲得して
いくしかなく、その苦しさと楽しさを併せ持って、今「世の中」は私の中に
あります。
 
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