やっぱりこれからが大変

 私が子どもの頃はよく停電があった。
ろうそくの灯りの下でご飯を食べるなんてことはしょっちゅう。
ゆらゆら揺れる大きな炎に見とれ、指で障子に影絵を映し、
物語を作っては楽しんだ。
 随分長い間東西の冷戦が続き、あちこちで核実験が行われていて、
1950年代には、太平洋のビキニ環礁沖で行われた米国の核実験で
日本の漁船が被爆する「第五福竜丸事件」というのがあった。
その頃の雨には常に放射能が含まれていて、放射能値も発表されて
いた記憶がある。大人は「雨に濡れると頭が禿げる」と怖がっていた
けれど、何分子どものことで、そんなことはお構いなしに外で遊んで
いたから多分私も大分放射能の雨に濡れたんだろう。
 東京大空襲の焼け野原のなかで生を受け、食べ物もろくになく、
電気が必要なものといえば電球とラジオくらい。日常茶飯の停電にも
大して困ることもなく、放射能含みの雨に打たれても禿げることも
なかった。決してその時代がよかったというわけではないけれど、
今更ながら環境の激変を痛感する。
 日本全体が電気なしではどうにもならなくなってしまっている。
原発はまるで麻薬だ。電気づけの私たちの生活は、原発に依存
しなければ到底成り立たないところまで来てしまった。ろうそくで
影絵を楽しんだあの頃にはもう戻りたくても戻れない。
 不安にかられて買いだめに走る神経症的反応は、まるで中毒患者だ。
東京にいるのに今にも放射能が降ってくるかのようにおびえるのも
どうかと思う。こうしてしまったのは、誰のせいでもない、便利さを
求め続けてたっぷりとその恩恵に浴した私たち自身なのだ。自己責任
というのはこういうときにこそ使う言葉だろう。理不尽にひどい目に
遭わされた被災地の人々のことを思えば、私たちの誰もが幾許なりとも
リスクは負わねばならない。
 
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