「贈る言葉」をもう一度

 関係各方面に連絡しまくってお騒がせ致しましたが、
何とか無事解決…というのは地震にまつわる停電の話じゃなく、
先日放映された「金八先生ファイナル」収録の件。アナログな
我が家のビデオデッキで地デジがちゃんと撮れるか心配で、
何人かの方にお願いしていたのですが、VHSビデオに4時間
ばっちり収録できて、数日前の深夜にじっくり一人で観ました。
 私が以前サンプラザの相談センターにいた頃、
難しいクライエントさんが増え、若いカウンセラーが
トラブルを起こす事例がありました。相談室で激昂して
怒りを爆発させた男性がいたのです。カウンセラーは
「怖くてもう担当できない」と泣いて訴え、その当時の
理事がおたおたして「何かあったら大変だから」と、
こともあろうに警察に相談に行き、テーブルのしたに
非常ベルを設置することをアドバイスされて、その通りに
しようとしたことがあったのです。
 まあ、私もまだ若かった(今よりはね)から、ミーティングで
「そんなことしてまでわが身を守りたいのならカウンセラー
なんてやめちまえ!世の中にはもっと安全な仕事山ほどあるんだ
から」と若い女性カウンセラーを怒鳴りつけ、「警察ふぜいが
分かったような顔してしゃらくさい、あれこれ指図受けるほど、
相談センターは落ちぶれちゃいませんよ」と理事に啖呵を切り、
恐れをなした理事がその案を引っ込めるという一件がありました。
結局最後までそんな非常事態は起こりませんでしたが。
 それとどこか似たような場面が出てくるんですよね、
金八先生には。「15歳の妊娠」のときも、「腐ったみかん」
のときも、「覚せい剤汚染」のときも。「カウンセラーという
仕事を舐めるな!」というあの時の私の熱さ、胸の焦げる
ような怒りが噴出するんですね。それも私のような即席の
啖呵じゃなく、力のこもった説得として。金八先生については、
「ださい」だの「うざい」だのいろいろ言われるけど、
こういう熱い思いを嗤う奴はこの私が許さない!って、
もう完全転移してます。
 人と向き合う仕事をするということは、自分の人格を丸ごと
その仕事の道具にするということです。それが嫌なら、そういう
仕事はやらなきゃいい、とその思いは今でも変わりません。
福祉の世界には結構いるんですよね、そういう人。佐賀の
谷口さん、大阪の生田さん、東京の湯浅さん…。そして
教師では金八さん。架空の人物かどうかなんて関係ない。
彼は小山内美江子という脚本家が作り出した人物ですが、
ちゃんと生きてる。生きてるように書いてる。脚本家の力
ですね。武田鉄也という俳優の力も大きい。
 最初はチンピラ風だった風貌が、時が経つにつれて
実に味のある顔に変貌している。遂に定年を迎えて、
肉体の衰えは隠しようもなく、しかしその熱い思いだけは
胸の底にしっかり生きてる。「ファイナル」でも十分
堪能しました。良かったです。
 ※ 思い出ブログ2題、ついでに読んでくださると
  嬉しいです。
2006/2/7
  
2008/4/14
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