一昨晩のこと、仕事を終えて夜遅くに戻ってみると
T社長からメールが届いていた。
この頃は例のプロジェクトの件で頻繁にやり取りをしている。
その翌日に社長の事務所を訪ねる時間を問い合わせていたので、
その返事だったのだが、そこにこんなことが書いてあった。
<明日の打ち合わせのメインテーマ:人類の転換点/
サブテーマ:「目的は一つ。目標が三つ。システムは無限」です。>
はてさて何のことやら…。
同行する男Nに即転送&TEL。
「ねえ、どういう意味だと思う?」
「それは…目的が一つで、目標が三つで、ええと…それからシステムは
無限…ということじゃないでしょうか?」
結局わからないんじゃん!
これまでも私のもとには、社長のイメージを形にしてみたという
マトリックスをはじめ、次々と進化する構想がメールで送られてきている。
どうも彼の頭の中では、私の持っていったプロジェクトの下案が
ぐんぐんと膨らみまくり、何かとてつもないものに到達しているらしい。
しかしその全体像は、もくもくと湧き上がる雲の中に隠れて、
正体がどんどん見えなくなっている。
もうこれはきいてみるっきゃない。
意を決して出かけていった。
そして昨日。
たった2時間余の打ち合わせで見事に雲は晴れたのである。
T社長の説明は明快で実に分かりやすかった。
さすがに右脳採入、左脳発信の人である。
最大の収穫は、「プロジェクトの目的」が二人の間でしっかり
リンクしたことである。「後悔しない死を実現する」という
かなり抽象的な目的が、私の中で「ソーシャル・インクルージョン」
というはっきりした社会福祉の理念に置き換えられたことである。
「ソーシャル・インクルージョン」の理念が社会福祉に
採り入れられたのは比較的最近のことである。
国際ソーシャルワーカー協会が2000年に採択した定義のなかで
提唱し、日本社会福祉士会も追随している。しかし、この理念は
まだ麗々しく掲げられているお題目の域を脱していない。
現場では数少ない福祉活動家が悪戦苦闘しているだけで、
社会福祉士会はじめ代表的なソーシャルワーカーの団体には、
一つとして今回の生保バッシングや社会保障制度改悪に関する
声明すら発しているところはない。
僅かな心ある福祉人だけの活動ではどうにもならない、という
苦い思いを日々強めていた私に、T社長は全く違った視点からの
方法論を提示したのである。誠に目を開かれた思いだった。
それは私とは全く違った地点に立ってものを見、考えている人の
アイディアであり、その地点にいる人の実行力がなければできない
構想でもあった。
実現するための「三つの目標」は、説明を聴いていくと納得する
ことばかりであった。何よりも感服したのは、目標に達する道筋が
地道で具体的な行動として非常にはっきりと示されたことである。
そして今この時点でそれを成し遂げる実力がT社長にあることを
確信できることである。
そのうえで…「システムは無限」。誠にその通りである。
かくなる次第で、私の中の「雲をつかむような話」は
「雲をつかむ話」に大転換と相成った。かくして実に
すっきりした気分で極上のおいしいお魚までご馳走になり、
幸せ感一杯で帰途に着いたのである。
T社長のコメントにあるように私が「ドS」なら、社長は「ドB」だ。
全く異なった視点と発想はこの仕事形態の違いにもよるだろう。
お互いに自分と違ったものを受け入れようという「インクルージョン」の
態勢がなければ、この話の進展はなかった。少なくとも私にとっては
雲は眺めるものでしかなかっただろう。福祉人の一人として
この雲をつかめたらもとより本望。きっと後悔なく死ねるに違いない。
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