新年が明けてもう半分以上も過ぎてしまった。
思えば13人分のTATの解析から始まったこの正月、
その後の出張講座、小菅拘置所での面接、CSNでの講座などが
立て続いて、人の心と日々格闘しているような半月間だった。
昨日は、TATを受検後の職員さんたちを対象とした介護事業所
での第1回目の講座があった。テーマはTATの結果を踏まえて
急遽設定した「防衛機制」。以前NPOのCS講座でも扱ったことが
あるが、今講座では、知識の習得というよりも、当日実施した
エゴグラムテストとの比較なども加えて、各参加者への問題提起と
なることを狙いとした。
それにしても改めて「防衛機制」をまとめてみると、心というものが、
いかに複雑な装備をめぐらせて自我を守ろうとしているのかを痛感する。
しかもその装備は無意識に張りめぐらされるので、自分では気づかぬ
うちにどんどん複雑に厳重になっていく。気がつけば「心の窓」は
開けようにも開かず、人は否応なく閉じ込められてしまう。
田舎の一軒家でもなければ、どうしたって戸締りは必要だし、窓に
鍵もかけなければならない。それは心も同じことで、全く防衛なしでは
人の中で暮らしてはいけない。しかし時折は窓を開け放ち、爽やかな
外気を取り込まないと、心の中には濁った空気が充満して心身を脅かす。
誰にでも他人に隠しておきたいことはあるし、家の中にずかずか
入って来られるのはいやなものだ。いつも窓が開きっ放しでは、
窓を乗り越えて入ってくる人もいるかもしれないから、それは防ぐ必要が
ある。しかし、他人にだけでなく、自分でも見たくない、無いものと
思いたいようなものがある人は、外界のみならず、自分自身に対しても
鍵をかける。窓は二重三重に装備され、見たくないものは奥深くに
押し込められる。
その窓は他人が開けることはできない。
自分でその装備の概要を把握して、一つづつ丁寧に開けていくしかない。
ロジャーズは「体験に開かれる」という言葉を使った。
外界に通じる窓を開け放つのは、援助職にとっては大事なことであるし、
自分自身の人生にとっても必要不可欠なことだ。
窓が開かないことには、その人はどこにいても閉じられたままだからだ。
これからの講座を通して少しでも「開かずの窓」を減らして欲しい、
そう願っている。
↑ブログを読んだらクリックしてね!