院の入試が迫ってきて、このところ夜な夜な
試験勉強に勤しんでる…と言いたいところだが、
どうもまとまった時間がとれずに半勤状態。
心焦れど学習進まず、である。
だがとりあえずは買ってきた参考書を開き、
数ページでもいいから読み進むようにしている。
そうすると、結構知らないことが多いのに
気づいて愕然。こんなことで大丈夫なんか?と
自分に突っ込み入れながらも、毎日少しずつ
物知りになっていくような気分は悪くない。
我ながら呆れるノーテンキぶりである。
さて、今日読んだ数ページのなかにまたもや
知らない言葉があった。「レジリエンス」である。
イギリスのラターという人が提唱した概念らしい。
児童思春期精神科医の父と言われる人物だそうな。
きっと現代的な概念なのよね、フムフム…
さて、レジリエンスとは何ぞや?
ラター曰く「深刻な危険性にもかかわらず、
適応的な機能を維持しようとする現象」
だそうである。要するに「どんなに劣悪でひどい
環境のなかにあってもめげず挫けず生きる能力」
ということらしい。まさに今はやりの「××力」に
通じそうな感じの言葉よねえ。
同じ困難な状況下にあっても、レジリエンスの
高い者は心理的社会的に適応して生きることができ、
低い者は脆弱で耐える力が弱く、PTSDにもなりやすい
んだそうな。生得的な要素もあるけど、発達の
過程で獲得するものもあるんだって。ふーん。
さしずめ、「おしん」さんなんかはレジリエンス
マックスなんだろうな。太宰治とかは低そうねえ。
年代でいえば戦争体験世代の90代にはすごくありそう。
でも若い世代は押しなべて低そうだ。
文科省が「生きる力を伸ばす」とかしきりに
言うのも「レジリエンス教育」ということらしく、
この概念、妙に注目されているようだ。
とはいえ、一朝一夕に育まれるような能力じゃ
なし、ましてや学校教育のなかでどうにかなる
とも思えない。
ともあれ、現代のキーワードを一個は覚えた。
こうして亀の如き学習の進捗状況を乗り越え、
物覚えが悪化する頭脳という逆境に耐えて
入試までの茨の道を歩ききれば、合否はともかく
我がレジリエンスは確実に高まることだろう。
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