もうかれこれ30年くらいも前のことになろうか。
 カウンセリングの勉強途上で、某フェミ系のグループに
 参加したことがある。ファシリテーターは40がらみの
 女性で割合その世界では名前も知られていた人だった。
  会場に入るや否や、その女性が声をかけてきた。
 曰く、「ここではね、皆自分の呼ばれたい名前で
 参加するのよ、私はキャサリン、あなたは?」
 「別に…」「そう、じゃあ、ジェーンはどう?」
 「いえ、本名でいいです」「あら、そう」
 随分おしつけがましい人だと思った。
  ワークの参加者は20名くらいだった。
 皆キャバレーの源氏名のような名前で自己紹介をした。
 本名を名乗ったのは私だけ。それから二人一組になって
 渡されたレジュメに書いてあることを読み合うように
 言われた。そこには「私には~する権利があります」と
 いう、女性の権利に関する箇条書きの文章が並んでいた。
 私は「読みたくない」と拒否した。
  キャサリン先生は、とても心外という口調で、
 「エ~ッ、どうして?」と聞いてきた。私は
 「何だか権利という言葉が嫌な感じだから」と答えた。
 「あらそう、まあ、翻訳された言葉だからね」と
 キャサリン先生。勝手に理屈づけて早々に片づけた。
  そんな若き日のワークでの不全感を今更ながら
 思い出したのは、最近女性のグループで講座を
 持ったときのことだ。30代くらいのAさんが
 職場での育児や産休に関する権利について発言すると、
 40代と思しきBさんが「私、権利って言葉嫌いなのよね」
 と言ったのである。
  はて、どこかで聞いた言葉じゃないか。
 びっくりして黙ってしまったAさんに代わって
 私が「あら、どうして?」と尋ねる。
 う~む、デジャブだ、キャサリンだ!
  しかし件のBさんは「何だか嫌い」なんて
 昔の私みたいな曖昧なことは言わなかった。
 「だってスーパーやコンビニが夜半中営業してて、
 宅配の配達時間が1時間刻みで指定できて、約束は
 履行されて当然のこの国で、産休が権利だなんて
 ほんと、甘いのよね」と彼女は言ったのである。
 そして驚くことには、何人かのメンバーが彼女に
 同調したのである。
  そのグループは、独身者やシングルマザーが
 多いということもあったろう。誰かが「権利」としての
 産休をとれば、誰かがその負担を背負うはめになる。
 彼女たちはそういう貧乏くじを引かされることが
 多かったのだろう。「そんなのは会社の責任、と
 居直れるんだったら楽だけどね、でも誰かがやんなきゃ
 なんない。産休とるのは、今じゃ権利なんだって
 大いばりだからね」とBさんは言った。
  あゝ、今は「何となく嫌い…」なんていう
 「感覚」のところにコミットするような、もやっとした
 感じは通じないのかも。彼女たちの言い分は分かるし
 「権利」への嫌悪感もはっきりしている。
 でも皆がキャサリンやジェーンになっちゃったら、
 何だかちょっと味気ない。
  これはキャサリンならぬかなりんのワークだ。
 さすれば次回は、それぞれの発言の裏にきっと
 へばりついているであろう不全感に、できるだけ
 コミットしてみようと思う。
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