「老い」の代償

 我が96歳になる伯母が危うい。
何が危ういかというと、その精神性である。
あれほど外向きで朗らかだったのが、一変して
被害的で頑なになってしまった。
 原因は、二度目の骨折に引き続き入院した
リハビリ病院の3か月。伯母にしてみれば
箱のなかに閉じ込められて決められたルールを
押しつけられ、不自由の極みの長期間。
周囲の人たちが自分を脅かす存在に見えてきた
としても不思議はない。
 4月の初めに退院してきた伯母は、介護度が
上がったので使えるヘルパーさんも入れず、
配食サービスの弁当もあまり食べずに、一人
暮らしを続けている。誰の説得も受けつけず、
頑として助けを拒む。まあ、それが伯母の
望むところであれば仕方がない。
 人間、いつまでも愛される人柄を保ち続ける
のは至難の技だ。伯母もどこかで無理をしてきた
のかもしれない。いつも人の重荷にならぬように
気を配り、周囲の人々を照らし続けることに疲れて
しまったんじゃないのか。人生の最後にそうした
呪縛から解き放たれて憎たらしくなる。「老いる」
ということにはそういう側面もあるのだろう。
 
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