曖昧耐性

 昨日のA子さんのブログと、 moon-light-power さんのコメントを読んでいて、「曖昧耐性」という言葉を思い浮かべました。カウンセリングの勉強をしていたときに盛んに出てきた言葉です。
 カウンセリング場面では、はっきりと決定できないような事態が頻繁に生起します。良いようにも見えるが、悪い感じもする。好きなようにも思えるが、嫌いにも感じる。そうしたいけどしたくない。人の心というのは常にそういう引き裂かれた状況を孕んでいるものです。しかしそんなどっちつかずの状況を抱えているのは落ち着かない。とても居心地が悪い。それをとにかくどちらかに決めてしまえば楽になる。不安から逃れられるような気がする。ともするとそういう心理に陥りがちなのですね。
 カウンセラーが自らの不安に負けて、目の前に起きていることを、早急に何らかの価値観に当て嵌めてしまうと、その陰に隠されているかもしれない本当の姿が見えなくなってしまう。だからカウンセラーには、曖昧な事態を曖昧なまま抱えていく力が要求される。それが「曖昧耐性」と呼ばれるものなのですね。
 確かに人は曖昧な状況には弱いですね。良いか悪いか、好きか嫌いか、役に立つか立たないか、全ての事柄を白か黒かどちらかのカテゴリーに分類してしまわないと落ち着かない。「混沌」というのは人を不安にさせる一番の原因です。
 因みにタロットの最初のカードは「混沌」を表す「マジシャン」です。それから徐々に「教皇」「皇帝」「法王」と、価値観と秩序の世界へ進んで行きます。混沌を、善悪、美醜、正邪といった価値観で分類し、秩序立てて行くのです。そしてこれを守るために「戦車」「力」「裁き」などが総動員されます。しかしそれも、人の力ではどうにもできない「運命」「死」のカードを経て、「節制」と「悪魔」のせめぎあいの後、「塔」のカードのところで崩れ落ち、世界はまた混沌に引き戻されてしまいます。
 私のタロットの師である伊泉龍一先生は、「『分ける』」ということは『分かる』に通ずる」とおっしゃいました。「人は分からない世界に耐えられない」のだとも。しかし世界は分けられないもので満ちている。この世の秩序の「塔」が崩れ去った後無となった世界には、この世の価値観とは無縁の「星」「月」「太陽」が現れます。「『塔』以後の世界は危険と魅力に溢れている」と伊泉先生は言っておられました。
 このCSNを立ち上げる前に伊泉先生に占っていただいたら、「星」のカードが出ました。「現実的な利益や名声には結びつかないかもしれないが、その他の得がたい何ものかを得ることができる。きっとやってよかったと思うでしょう」とのことでした。この占いの結果をときに思い出してはかみしめる昨今です。
 
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