均等法後の女性たち

 忙しさに紛れて大分間が開いてしまったが、ただ今大車輪で会報第3号を作成中。夏が終わるまでには何とか完成させたいと懸命努力の日々である(殆どはnekoちゃんの努力なんだけど)。今号の特集記事は、「均等法後の女性の生き方(仮題)」。「画期的な法律」と呼び声も高かった、かの「男女雇用機会均等法」が施行されて早や20年。今や女性の生き方もガラッと変わったように見える。しかし相談を受ける中で、そうした時代を生きる女性たち特有の悩みもまた生まれているのだなあ、と感じさせられることも多い。そこで彼女たちに自由に語り合ってもらって、そんな現状を検証してみようと思い立ったのである。
 そんなわけで、昨日、該当する会員さんたちの協力を得て座談会を行った。出席してくださったのは20代後半から40代までの4人の働く女性たち。2時間ほどの会談だったが、それぞれが抱える悩みや思いを熱く語り合った有意義なひとときとなった。
 30代のK.Sさんは現在派遣社員として大手のメーカーに勤務している。派遣の定年は40歳と言われるなか、将来のことを考えるとこのままやっていけるのだろうかと不安になる。結婚という選択肢もあるが、これ以上家事や育児の負担を背負うことを考えると余り魅力的には思えない。正社員にはならずとも、何とか一生やっていけるような仕事にシフトしていきたいのだが、なかなか簡単にはいきそうもない。思えば「派遣」という働き方が出現したのもおおよそ均等法の施行後である。「まだ派遣で一生を終えたという人はいないのよね」という彼女の発言は、モデルのいない道を生きるこの世代の不安と苦悩を湛えた印象的な一言だった。
 同じく30代に入ったばかりのA.Jさんは、大手の流通企業に勤務する正社員である。彼女の新卒時は折りしも超氷河期の真っ只中。買い手市場の就活現場は、一流大学の男子優先が露骨で、企業の本音を垣間見た思いがしたという。女子学生の採用は精々全体の1~2割。彼女が受けた会社は100社にも及んだとのことである。そんな悪環境を潜り抜け何とか採用をゲットした彼女だが、職場環境は厳しかった。休日出勤や残業の連続で疲労感がたまり、入社当初の意欲も削がれがちになる。結婚はしたいけれど、家事や育児との両立はとても無理に思える。会社は法的な制度だけは整備したけれど、それを社員が利用しやすくするようなフォローは殆どない。ハードな仕事に見切りをつけて転職していく先輩の女性社員も後を絶たないという。
 40代のI.Sさんは、ちょうど均等法が施行された年の前年に就職した、いわば境目の世代である。初の女性総合職で就職した友人も何人かいる。しかし彼女たちは今殆どが主婦をやっているという。彼女の先輩の世代の教師をしている女性から聞かされたという、「均等法というのは高学歴のキャリアウーマンたちが生み出したのではなく、企業学校に通う女性工場労働者たちがつくったのだ」という見解が新鮮だった。切実な向上意欲実現の方途として誕生した均等法は、果たして彼女たちに真の恩恵をもたらしたのであろうか。男と伍して働くことを選んだ高学歴の女性たちの多くが、その過酷さに耐え切れずにリタイアしていったのと反対に、長い間劣悪な労働条件に甘んじてきた女性たちの地位向上に幾許かでも貢献したのだとしたら、その評価も違ったものになるのかもしれない。
 出席者の中で一番若いY.Kさんは、一人だけ既婚者である。現在中小企業の出版社に勤務しており、就活で男女差別を感じたことはないという、「均等法」の恩恵が行き渡ってきた世代である。しかし社内ではまだ女性の働き方に対して充分な理解がされているとは思えない。彼女の関心はやはり仕事と子育てとの両立ができるのか、ということにある。さすがに「寿退社」という言葉はなくなったものの、妊娠を機に仕事を辞める女性は未だに多い。子どもをもって働いている先輩社員もいるにはいるが、かなり周囲に気を使っているのが分かる。夫に応分の負担を求められる状況ではないので、このままの働き方はできないかもしれないと思っている。「でも諦めずに自分らしい生き方をしていきたい」と語る彼女は、「結婚も出産も仕事も」という、一昔前の世代から見れば羨ましい道を模索できる世代でもある。
 さて、この座談会のファシリテーターを務めたかくいう私はといえば、均等法の前身である「勤労婦人福祉法」という法律が施行された1972年の5年も前に就職している。「勤労婦人」という古色蒼然とした言い方からも、いかに差別的な状況だったかが窺えよう。当時は変わり者しか行かないとされていた4年制の大学を卒業して、A.Jさんが見舞われた超氷河期にも匹敵する就職難を掻い潜り、何とか建設会社の子会社に潜り込んで、レジャー産業の営業企画部門を担当した。小さなところだったのであちこちを飛び回り、結構面白く過ごしたが、「女のくせに」とか「女は引っ込んでろ」という言葉はそれこそ星の降るほど浴びせられた。まぁ、私が相当生意気だったせいもあるけど、あの頃を考えると誠に隔世の感極まるものがある。
 勤めて7年くらいになる頃、親会社が建てる琵琶湖湖畔のホテルの運営を私のいる子会社が委託され、その支配人を打診されたことがある。引き受けようかと迷っていたときに妊娠が判明し、辞退することを決めた。「日本初の女性支配人で売る」と勢い込んでいた社長は、私が妊娠の事実を告げると苦虫を噛み潰したような顔になった。日本で初の女性支配人が誕生するのはそれから10年余り経ってからで、当時の「フォーカス」という写真週刊誌が大々的に報じていた。
 あの時引き受けていたら、今頃私はどうなっていただろうかと考えることがある。ホテルの支配人というのは、今のコンビニの店長みたいなもので、24時間勤務と言われていたから、家庭が破綻した上に身体も壊したりして悲惨なことになっていたかもしれない。座談会の後、もしあれが今なら引き受けただろうか、と考えてみたが、それでもやはり相当迷うだろうと思う。全面協力をしてくれるような奇特な男をパートナーに持たない限り、今でも無理かもしれないなと思う。「仕事も結婚も子どもも」の道は、時代を問わず「賢い配偶者選び」にかかっているのかもしれない。
 
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