外見の世界を泳いで

ブランドものに目がない時期がありました。
小物はフランス、
洋服はイタリア そういや髪形や身体にも金をかけていました。
美容室は原宿、
身体はスポーツジムでボディをつくる
ライフスタイルもお洒落かつ派手に。
住まいは世田谷一等地、
行きつけのバーではボトルキープ 夜の展開はスリリングに。
声をかけるのは着席後30分、
声をかけられたら一夜のお遊び
一般社会ではまだ受け入れられていない
ゲイセクシャリティを日々包み隠し、
それを花開かせるかのようにマイノリティの世界では外見を装い、
日々その流れについていこうとしていた。
等身大の堅実さよりも、薔薇の世界を選んだ。
中には、堅実にゲイライフを送っている人もいます。
でも自分はそれがゲイのライフスタイル流儀であると思ったし、
憧れでもあった。
選ばれるために一夜でもいいから「らしく」楽しみたいということ
よりも、無防備な快楽と虚栄に走った。
でもいくら外見を装っても、メッキはメッキ、立て板に水。
分相応にあわない生活は、何かを犠牲にしている。
それでもなんとかその生活スタイルを維持しようとする。
わかってた、
自分の問題を包み隠してその場の快楽と虚栄に力を注いでたこと。
ブランド物を持っていたらモテるのか、
身体がいいならチヤホヤされるのか、
住まいがいいなら選ばれるのかという自問に
そんなにもてたいか、
そんなにチヤホヤされたいか、
そんなに選ばれたいかという自答をしつつ。
でも答えはいつも「選ばれてなんぼ」だった。
内面から入る選ばれ方なんて数少ない。
それは自分もしかり。
内面を見ようとするほどに、恋愛の惚れた腫れたができる相手か、
いざこざゲームにふさわしい相手なのかぐらいで、
その相手自身のことは二の次。
自分の問題がどうにもならずして
あまりにも相手を受け入れる度量ないか、
あまりにも自己愛的発想が多いのか。
第一内面について話すことほど、危険なことはない。
なぜなら、外見重視の世界だから。
もしそれに触れたくないなら外見に勤しみ、お遊びを続けていく。
でも自分にはそれは長続きができるものではなかったし、
必然的に長くは続かなかった。
それは「年齢」だ。
「はなのいろはうつりにけりないたづらに。。」
年を追うごとに実年齢ではピークをすぎ、
生活では現実味を帯び始めてくる。
ただでさえ、男30代というのはなかなか選ばれにくい世界。
もしピークを過ぎても選ばれたいのなら、
社会ステータスや明確なビジョンを持つか、
現在流行りの身体つきか「男役」に徹する人。
現実味を帯び始めるなかで、外見は以前と同様に求められ、
どこか無理をしている自分像。
それでも出会いが欲しければ、どうしても外見になる。
その人自身をイメージづけるのは、皮肉にも外見の情報だけ。
それはWebでプロフィールを投げかけてもレスポンスがないものが、
実際に会って仮に年齢やプライベートを言わず、
それなりな格好とか雰囲気をしていれば、
声はかかるしそれなりの展開の見込みはまだある。
これぞ外見の世界の極みだと感じた。
外見の極みを知ることで、
等身大の「さじ加減」を調節できるようになり、
ようやく肩の荷が下りた。
今でもチヤホヤされたいし、モテたい願望はある。
でもかつてと違うのは外見だけの薄い勝負服だけでなく、
ゲイの世界の儚さと危うさと、
ゲイでないと感じられないギリギリ感を楽しみ、
そして外見のうちに秘める心中に「共感」できるからだ。
そして「外見重視である」意味合いとゲイ格差をしていたのは
誰よりも自分だったと気づいたから。
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