「怒り」はどこへ行った?

 昨日劇団CSNのメンバーが集まって本読みをしました。
取り上げたのはジョン・オズボーンの「怒りをこめてふりかえれ」。
50年代に書かれた大分昔の戯曲です。
 何で今更こんな古い戯曲を取り上げたのかというと、
「怒り」というのは現代にも通ずるテーマだからです。
そしてその「怒り」の後ろにある「悲しみ」や「絶望感」も、
今も変わらぬ人間の心情と言えましょう。
 この戯曲の主人公はジミーという25歳の若者です。
彼は下層階級の出身で、友人の母親がやっていた
小さな菓子屋を継いでいるのですが、まぁ、今で言えば
定職のないフリーターのようなものです。
 彼は古いアパートで妻のアリソンと友人のクリフと3人で
暮らしているのですが、今の社会や暮らしの全てに対して
不満と苛立ちを抱えており、それを周りの人間にぶちまけます。
特に上流階級の出身である妻にその矛先が向かい、
それを庇う友人クリフにも八つ当たりをします。
 実際ジミーは本当にのべつまくなし怒っています。
皮肉と罵倒満載の長台詞が至る所に出てきて、
ジミー役のメンバーは四苦八苦でしたが、これが
この戯曲の魅力の一つでもあります。若い頃は
至極共感したものでした。
 彼のこの戯曲が火付け役となって、「怒れる若者たち」
という一大ムーブメントが世界中に広まり、演劇少女たる
かなりんも大いにかぶれたクチです。
この戯曲も、文学座などのメジャーな劇団から、大学の
演劇サークルまで、あちこちで上演されました。
 久しぶりに読み返してみると、もう今はこんな風に
怒りを外に向かってぶちまける奴などいないのだと
いうことを痛感します。あの頃世界中のあちこちにいた
ジミーは、今はもう年老いて本当に「老いぼれグマ」に
なっちゃったのかもしれません。
 もし今の時代にジミーが存在するとしたら、彼は単なる
DV男になってしまいかねません。「怒り」は一人一人の
胸中に深く内向し、ときに「誰でもいいから殺したい」という
過激な爆発を引き起こしたりしちゃうのかもしれません。
 TA(交流分析)的に言えば、勿論ジミーの怒りは
ラケットです。彼の本物の感情は、その心の奥底に
抱いている「孤独なクマ」に溜められています。
この「クマ」がラストでアリソンの「リス」と抱き合うシーンは、
どうもメンバーには不評でした。
 そんなに簡単に「本物」に辿り着くわけがないというのが、
メンバーの実感だからなのでしょう。
これから大幅に脚本に手を入れて、「現代のジミー」を
生み出す作業をしようかと思っています。
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