「かなりん」という生き方

 私が「かなりん」と呼ばれるようになったのは、
NPOを開設してからのことです。
 どうして「かなりん」と呼ばれるようになったかというと、
自分で「私はかなりん」と言いふらしたからです。
 どうして言いふらしたのかというと、
そう呼ばれたかったから・・・というわけでもないんです。
 以前アサーティブのグループワークに参加したとき、
「呼ばれたい名前を書いてください」と名札を渡され、
私は「カナエさん」と書いたのだけれど、ファシリテーター
のアシスタントが「キャサリン」と書いているのを見て
「ゲッ」と思ったことがありました。
 「キャサリンなんて呼びたかねー」という私の気持ちなど
おかまいなく、ファシリテーターは、「キャサリンはどうなの?」
とかのたまう。
そのワークでは、私は徹底的に無口になりました。
 「キャサリン」と「かなりん」は似たようなもんじゃないか
とおっしゃる向きもあるでしょうが、私の中では違います。
違いますが、まぁ「同じようなもん」と言われてもしゃーないとも
思います。だから「呼ばれたい」というわけでもなかったんですね。
 NPOを立ち上げたとき、ホームページなどのウェブ上での
発信にハンドルネームが必要だというので、「かなりん」と
しました。アイドルなんかを「~りん」という愛称で呼ぶのが
流行っていた頃でもあります。「NPOのアイドル、かなりん!」
の乗りも、まぁ半分くらいあったんですね。
 昔の私だったら確実に「げっ」と言ってるところです。
でもその頃はそんな乗りでもなきゃやってられなかったと
いうところもありました。何しろこれでもかというくらい、
次から次へと難問が降ってくる、そんな時期でしたから。
 そういうわけで、何とも安易に、はずみで誕生した如き
「かなりん」なんですが、設立以来次々に持ち上がる
大小様々な問題を、「私はかなり~ん」と言いながら
乗り切ってきた、今振り返るとそんな気がします。
思えば「かなりん」とは、私のFC(フリーチャイルド)を
喚起する呼び名だったのですね。
 サンプラザ時代は「シンチさん」とか「シンチ先生」とか
呼んでいたメンバーたちも、この頃では「かなりん」と
呼ぶようになりました。「こんなおばさんを『かなりん』なんて
呼びたくねー」などと言う輩は、我が心優しきCSNのメンバー
にはおりません。
(内心では思ってても怖くて言えないだけかもしれないけど)。
 ここでやっているカウンセリングもグループワークも講座も
言ってみれば「かなりん流」。既成の法則を度外視したやり方
は危険も孕むのは承知の上。
「何があってもリスクは私が背負う」という覚悟はできている
つもりです。かなりんは「腹」も鍛えているのです。
 今軌道に乗りつつある「パーソナルサポートグループ」
ホームページ「講座・グループワーク>サポートグループ」参照)も、
そんな「かなりん流サポート」の一つです。「その人に最も
有効だと思われるサポートを提供する」というCSNの理念
から生まれたサポートの形です。
 その「パーソナルグループ」をはじめ、講座や事務仕事に
関わってくれて、CSNの活動を担っているのは、私を
「かなりん」と呼ぶメンバーたちです。私も彼らを愛称で
呼んでいます。「呼んで呼ばれること」が日々見えない絆を
編んでいくようです。
 しかし、「かなりん」は私であり、私ではありません。
変なことを言うようですが、何かそんな感じなのです。
「かなりん」は私の中にあって、私に内側から力をくれる、
今やそういうものになっています。
 「かなりん」は、CSNを来訪してくれた多くの方たちから
力をもらい、私を助け、成長してきました。
それはCSNの成長とも重なります。
 「かなりん」は束縛や権威や支配が大嫌いです。
どんなに苦しくても自由をめざすエネルギーを失いません。
これからも、ともすれば挫けそうになる私を支えてくれる
無二のパートナーであり続けることでしょう。
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