「過去」を書くということ

僕の人生が途切れたことは一度もない。
・・・はずだ。
なのに過去の記憶は切り離されたものとして考え、
連続した、現在と繋がったものとしては考えない。
そういう傾向が少なくとも僕にはある。
他の人もそうなんじゃないかと思っているが、聞いてみたことはない。
なぜそう考えるのかといったようなことは置いておく。
僕が、僕の中で、「ニート」だと思っていた時代は、
つい半年前のことで、
この半年間はなんだか生きるのが楽しくて、
半年前よりも過去のことは、
半ば「抑圧」していたように思うし、
それはやっぱり後ろめたさのようなものを感じていたのかもしれない、
と今は思うし、
今現在でも少しはそういうのを感じていると思うけれども、
でもだんだんと、
実感的なリアリティーは薄れてきているのを感じる。
「ニート時代の過去化」は着実に進んでいる。
それはいいことだと僕は思う。
で、それがいいのか悪いのかといったことも置いておいて、
その時代のことを文章にして記録するとか、
なんらかの形にすることは僕にとって重要なことだと思う。
なぜそう思うか?
なんとなく。
だってなんとなくなんだもん。
でもなんとなくそう思うんだよ。
このことを、ここまで書くだけでも結構大変で、
それもなんだか尻すぼみになって、
それは意気込みの中途半端さの表れでもあり、
「形にする自分」をイメージできない不安でもあるのかな。
まあとにかく、
決意する過程の中途半端な記録ってことでUPします。
人の日常の生き様なんてそんなキレイなもんじゃないさ!
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