申し訳ありません。
「申し訳ありません」とは「申し訳」がありません、ということです。
「申し訳」とは『デジタル大辞泉』によると
「申し開き。言いわけ。弁解。」だそうです。
申し開き、言いわけ、弁解、は、あります。
ということは、申し訳あります。
ごめんなさい。ただ、申し訳あります。
このほうが正しいですがなんのことか伝わらない気がします。
火曜日中にブログをUPできなくてごめんなさい。
ただ、言いわけはあるのでもしよろしければ聞いてください。
これだけ書けばようやく伝えたいことが伝わる気がします。
ということで、よろしければ言いわけを聞いてください。
より正確に表現すると、よろしければ言いわけを読んでください。
【以下、言いわけ】
昨夜はブログを書けませんでした。
なぜ書けなかったのか?
疲れていてとても眠かったので書けませんでした。
なぜ疲れていたのか?
CSNで一泊二日で作業をしていたので疲れました。
どんな作業をしたのか?
買い換えたパソコンをセッティングする作業をしていました。
なぜ作業をしたのか?
作業がしたかったからです。
12時間くらいシコシコと作業をしました。
メール設定やプリンタ設定など、最低限の結果は残しました。
結果を残したので嬉しいです。
少しずつでも成果のある作業は基本的には楽しかったです。
お喋りしたり冗談を言ったりしながらだったことも楽しかった理由です。
やりがいのある作業だった、といっていいかと思います。
無給でしたけど
晩御飯はごちそうになりましたけど
改めて思いました。
「労働」ってなんだろうと。
例えば、
成果の上がらない、ストロークの得られない、喜びのない作業、
やりがいのない作業を12時間行ったとしたら、
その対価としていくらくらい貰えば気が済むのか。
そもそもお金を貰っただけで気が済むのだろうか。
お金のためだけに、つまらない作業を、僕はどのくらいできるのだろう。
まったくできなくはないだろうけれど、
毎日毎日繰り返すことはできないだろうという気がします。
「労働ってそういうもんだよ」
「楽しさを求めているうちは仕事とは言えないね」
「働かざるもの食うべからず、生きていくためにはしかたないのさ」
うーん・・・
僕にはやっぱりそうは思えないんですよねえ
そう自分に言い聞かせて労働を続けて
巨万の富やら地位やら名声やらを得ることができたとしても
死ぬ間際に5つばかしの後悔をしそうなんですよねえ