ACばかりの日常

平日の私の時間は、ほとんどが仕事の時間。
そして多分、会社にいる時はACの状態でいることが多い。
これもTAを勉強するようになってから気付いたこと。
周りの人の顔色をうかがったり、遅くまで仕事をしたり。
CSNにいる時は違うと思っていた。
FCでいるのだろうと思っていた。
でも、先日かなりんが言った。
「A子さんはCSNにいる時はACなのよ」
えっ、ここでもAC?FCじゃないの? かなりショック!
自分ではFCだと思ってたよ。
「自分ではFCの感じがする?」とかなりんが聞いた。
うーん・・・FCだと思う。
けど、違うのかな・・・?
でも、ACじゃない気がする。
FCなのか、ACなのかわかんないや。
C」であることは 確かだけど・・・。
「適応しようとしてるでしょ?」と更にかなりんに言われ、
「あ、そうかも」と思った。
私はこの場に適応しようとしている。
会社の人や友達といる時もそうだけど、その場に適用しようとする癖
がある。
それをCSNでもやっている。
「いつやってるの?」と言われても、分からない。
そんな感覚がある、としか言えない。
以前私のブログに、かなりんが「日常のなかでささやかな喜びを重ね
ていく技を身につければ、もっともっとFCが活性化することで
しょう。」というコメントを付けた時から、「あれ?」と思って
いた。
「あなたはFCで接しているつもりかもしれないけど、本当にそう
なの?違うんじゃないの?」と言われている気がした。
あーヤダヤダ!また自分のことに気付いてしまった。
こういう時は、自分の心の中で、子供の私がバタバタする。
「本当は気付かずにいられたらいいのに、やっぱり見て見ぬふりは
 できない。
 自分で気付いた自分の姿に向かい合っていかなくては」と思う。
でも、出来ることなら素通りしたい。
見たくない見たくない見たくない。
でも、そうすると脚本から脱出できない。
「適応する」という言葉で思い出すことがある。
中学校3年の時のことだ。
クラス替えで私はショックを受けた。
「仲良くできる子がいない!」と思ったから。
私はずっと仲良くできる子と、仲良くできない子を分けていて、
そのクラスには私が仲良くできる、と思える子がいなかった。
「仲良くできる子」とは、まじめでおとなしい子。
私は無意識に、自分が一番でいられるような相手を選んでいた。
逆に「仲良くできない子」とは、明るくて元気が良くて、言いたい
ことを言える子。
私は、そういう子たちが恐かった。
仲良くできる子が一人もいないと分かり、その日は呆然と家に帰った
のを今でも良く覚えている。
「お昼は誰と食べよう、何をして過ごそう、移動教室の時は・・?」
家に帰ってから、あとからあとから不安が広がった。
その日から学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかった。
家の中でも、自分の部屋に閉じこもった。
最初は「何で行きたくないの?」と聞いていた母親も、「ちゃんと
学校に行きなさい」と言うようになった。
姉も「自分から友達に話しかければいいじゃない」と言った。
そんなこと言ったって・・・と思いながら、暗い気分で学校に
行った。
隣のクラスだったらいいのに、と何度も思った。
2年生の時の担任の先生に会うと、わざと元気のない振りをした。
「元気ないな」と言われると、「しめしめ」と思った。
誰でもいい、何でもいい、このクラスから救い出してほしい、と
思った。
他人に対して心配してもらいたい時、思い悩んでいるような振りを
するようになったのは、この頃からだと思う。
別にいじめられていたわけではない。
誰とも、親しくできず、一人ぼっちのような気分だった。
そして私は、クラスの中の足の悪い女の子と仲良くなろうと決めた。
その子も、一人でいる子だった。
その子と仲良くなりたかったわけではない。
その子といれば少なくとも一人ぼっちだと見られずにすむ、と思った
からだ。
でも、心の中で私はきっと、その子のことを馬鹿にしていた。
そして、そんな自分を馬鹿にしていた。
学期末に母親と私と担任の先生との三者面談があった時、先生が
言った。
「クラスに足の悪い女の子がいるんですけど、A子さんは世話を
 よくしています。優しい子ですね」
その時、心が引き裂かれそうだった。
「ばかじゃないの!何も知らないくせに。私がどんな気持ちで、
 その子といるか何もわかっていないくせに。ヘドが出る」
と思った。
その時のことを思い出すと、今でも気持ち悪くなる。
恋愛でも、「私のことを好き」といわれると、気持ち悪くなる。
「何もしらないくせに、いい加減なこと言わないでよ!」と思う。
それは、この時の感じに似ている。
「適応」ということは社会で生きる上で、ある程度必要なこと
なんだろう。
でも、今までの経験からか、私は「適応」という言葉に良いイメージ
はない。
でもきっと私の体にしみついているもの。
今まで私が生きてこれたのは、ACを駆使してきたからかもしれ
ない。
だから、今はACでも仕方がない。
自分はACでいることが多いのだ、ということを認めよう。
そしていつか、本当に自分が楽しいと思える感覚を、
FCを身に付けたい。

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