私は、事業所通いとほぼ並行して行っていることがある。
それはトレーニングだ。
若いころは痩せていても「若い」というだけでよかったが、
少しずつ年齢を重ねるとそうもいかない。
痩せた中年というのは、外見としての魅力はどうしても半減する。
あくまでゲイ的視点、それも私個人の見え方なので、
なにをそこまでと思うかもしれない。
スリムでも、生き生きとした人はいる。
別に、無理して鍛える必要もない。
それなのに、どうしても鍛えた体型に重点を置き、
判断してしまうきらいがあるうちは、
この体型に対する欲求が、私を厄介にさせる思考なのだ。
私の目に留まる人というのは、鍛えた体型だ。
厚い胸板、鬼のような背中、岩をも持ち上げる肩。。。
私はそれに憧れ、求めてきた。
40代を目の前に、私は賭けてみたかった。
それは憧れを抱いた体型を、いっそ自分で得てしまえということだ。
そして理想の体型を手に入れ、周囲からのまなざしを手に入れ、
私を満足させてみようじゃないかと。
まずは、食べることからスタート。
長い間、食べることへの抵抗が強く、
どうしても量やカロリーを気にしてしまう傾向があった。
しかし鍛えるには、それ相応の食事量が必要で、
とにかくカロリーを気にせずに食べた。
体重を増やすには、そう時間はかからなかった。
やはりトレーニングをすれば、それなりにお腹が空き、
肉類を欲するようなる。
そこで食事量をセーブすればダイエットだが、
今回はそれを越えていくことが、求めるカラダづくりなのだ。
食べて、鍛えて、食べて、鍛えてを繰り返し、
半ば執念だった。
そうして5キロ増やし、そこそこ描いた体型に近づいてきた。
しばらくぶりに会ったゲイのメンツは、
それぞれに驚き、トレーニングの成果を誇らしくも思った。
だがそれ以上に、体型における威力を思い知った。
体重が増えただけで、
トレーニングしてますというだけで、
いいカラダというだけで、
話す機会やチャンスが増えたりするなんて、
虚飾の凄まじさを感じずにはいられなかった。
私の胸のうちを知った者は、
一体どれだけ残るのだろう。
胸のうちを知ってと欲した時点で、
鍛えた体に力強さなぞ感じない。
この拭われなさこそ、私なんじゃないか。
40にして私はトレーニングをした男という駒に並び、
理想のカラダに近づけた自身の努力は認めるが、
こころのうちでは冷やかに見ているのだ。
もし三島由紀夫なら、なんと言うだろう。