今日のヤフーニュースを開けたら、トップに
「10か月ぶりの死刑執行」の文字があって
ドキリとした。以前カウンセラー仲間であった
Iが、常日頃「死刑制度があるようじゃ、日本
もまだまだだ」と言っていたのを思い出した。
遠い昔、大学のフランス語の授業で、若い女性の
フランス人講師が黒板に何かを記し「このテーマで
話をしなさい」と言った。勿論フランス語で。黒板に
記された言葉の意味を誰も分からず、皆慌てて辞書を
繰り、そして絶句した。「死刑…」。まだ習いたての
拙いフランス語で、どうやってこの難しいテーマを
話し合えというのか。皆は顔を見合わせるばかり。
だが件の講師は厳しい顔をして教壇から私たちを
睨むように見ていた。
当時は4年制の大学に行く女性など珍しい存在で、
「こんな高等教育を受けているあなた方がこういう
テーマで意見を言えないなんてことはない筈!」と
講師の目は言っていた。「だってフランス語で?」
と誰かが言い、「日本語で言ってそれを翻訳しよう」
とまた別の誰かが言った。しかしその提案も虚しく、
日本語でさえまともに意見が言える学生はいなかった。
講師は、その目に落胆と軽蔑の色を浮かべて無言で
教室を出て行った。
いやはや苦い思い出である。
因みにこの講師の試験判定はかなり厳しく、
受験者の3分の1くらいしか単位がとれなかった。
第2外国語は必須だったため、卒業に間に合わずに
内定した就職を棒に振ったクラスメートもいた。
彼女のために皆で講師のところに頼みに行ったのだが、
どうしても「ウイ」と言わなかった。
思えば「死刑制度」が存続する国の、それも
最高学府で学ぶ自分と同じ女性学徒が、そのことに
ついて何も考えていない、という事態に彼女は
絶望と怒りを感じていたのかもしれない。
講師の国フランスはもう30年以上も前に
死刑制度を廃止している。しかしあの当時はまだ
日本と同じように死刑が存続する母国に対し、
彼女はどのような意見を持ち、何を主張しようと
していたのだろうか。それを理解できるほどの
フランス語をついぞマスターできなかった私たちは
誰も彼女の思いを聞くことはなかった。だが、あの
厳しい目の色が物語る思いは、いかなばかな私たち
でも何となく感じることはできた。
翻って今の日本。
あれからもう半世紀が経つというのに、未だ
死刑制度は健在である。死刑執行の報に接する度、
あのフランス人講師の目に浮かんだ軽蔑の色と、
元同僚のIの「日本もまだまだ」という言葉を
思い出して苦い気持ちになる。
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