昨日これまでの脚本であろう原因のひとつに、
 ある種の終止符を打ちました。
 この原因は自分をゲーム引き込む材料であり、
 生活を脅かすものでもあり、
 カウンセリングで幾度も話してきたことでした。
 ですが昨年末に当時の現状から方向付けをし、
 昨日までグズグズしたり、モヤモヤしながも日にちを決め、
 ようやくメスを入れたのです。
 それまでの気持ち、、 戸惑い、、ありました。
 脱落感、、ありました。
 自己否定感、、ありました。
 この原因に触れるたび、
 不甲斐なさとか自分の生きる証みたいな自虐的なことを考え、
 でもその原因に対する行動から起こる不安にさいなまれ、
 どうすることもできず、ただ従うようにしていました。
 そしてそれは日々の生活を狂わせ、
 引いては自分の心も不安定にさせ、
 この気持ちこそ自分が「NOT OK」である確認を取り続けた
 証でもあります。
 前々回に「破滅者の詩」というタイトルのブログを掲載しましたが、
 この原因はそれに通じるもののひとつです。
 一通りのことを終え、
 腑抜け状態でありながらも感じていたおぼろげなこと。
 それは帰り道の地下鉄の駅で感じました。
 自分がどんなに脱落感もあり自己否定感もあり
 大きな不安だと思っていたこのことは、
 自分がこの日を迎えるまで寝不足になろうが
 脚本に入りかけようとしていたことは、
 駅ですれ違う人、隣で電車を待ってる人には
 全く影響というか何でもないことなんだなということ。
 そして無常すぎるほど、社会は動いていくのだなということ。
 愕然とはしないけど、
 「なーんだ」と思えるほど軽くは見ていない。
 このことで「OK」を感じられているのかどうかは未知だけど、
 でもこの終止符に実感を伴うのは、
 そう時間はかからないであろう。
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