言う力 言えない力

先日、父にCSNで話しをしたいと申し出て、
恵比寿に来てもらいました。
ことの経緯、それは今の自分の現状を知ってもらうことにあった。
自分の現状、それはこれまでの自分の歩みを父に伝えるための
ある種の告白めいたものだ。
その前に、、、 これまで自分のブログを読んで、
気づいた方もいるかもしれませんが、
自分のセクシャリティは「ゲイ」なんです。
ゲイについてや、それにまつわることは今回は触れませんが、
自分はこのセクシャリティで人生の半分、
いや過半数以上は生きてきたということです。
自分はゲイであることを両親や世間に対しずっと隠し通し、
多少その要素を垣間見せながらも、
ひたすら「ヘテロ」であることを演じ続けました。
ヘテロを演じること、それは自分を更に別の自分へと誘い、
心の分離や離人感とも違う、奇妙な心持というのか、
対世間的なのか、つまりは素の自分ではいられないことが、
おおよそ演じることの由縁かもしれません。
自分のセクシャリティを隠していることは、
自分を裏切っているわけでもなく、認めていないわけでもない。
自我でわかるのは「ゲイの自分」をどこかディスカウントして、
こんな自分は両親には必要とされていない、愛されないと思うこと。
そういう想いから発した数々の「愛されていない」の確認作業、
自分はNOT OKなんだと思う脚本を持ちつつ、
その時々の精一杯の選択で、これまで歩んできました。
でもその選択は、現実を見据えるAの未成熟や、
発散されないCの強暴が判断を誤らせ、
自分の生活は破綻し、身体レベルでは危機を迎えていた。
そして世間的には、過激な部類に相当するような結末となった。
そこから脱するためには、根本にある自分のセクシャリティと現状を
両親に伝える、告白という対決だった。
※※※※※※※
場所を恵比寿に選んだのは、
告白に際し感情的になるのを防ぐために、
第三者のかなりんを立会いにして行うためでした。
その日は父一人が、何かを察するような顔もちで恵比寿に来た。
自分はというと、この告白をすることを決めてから、
脚本抵抗による体調不良にあいながらも、
なんとかこの日を迎えたのだ。
母に対しては、以前から現状の一部を伝えていた。
しかし、根底のゲイであることは伝えていないことから、
現状に対しどこか中途半端な感じがあった。
そして、今回父に話すべく内容を、母には事前に伝えていた。
母がこの日来なかった理由も、わからないでもなかった。
カウンセリングルームで父を目の前にし、
緊張、恐怖、動揺の全てが自分の心を駆け巡った。
「Aをつかえ、Aをつかえ、Aをつかえ」と心で唱えながら、
ゆっくりと話しはじめました。
自分の現状、そしてそれらの根底には自分がゲイだということ。。
父は現状問題の一部に反応しながらも、
ゲイであることも含めてなのか、
「なんでもっと早くに言わなかった、バカだなぁ」と、
穏やかに言った。
このバカだなぁという一言は、侮蔑するのではなく、
明らかに自分なりの愛を感じた。
そして「前向きで考えよう」と言ってくれた。
リアルに泣いた。
話すたびに涙が出たのは、聞いてくれてる嬉しさなのか
あまりの恐ろしさからの解放のせいか。
そんな涙の理由なんて、どうでもよかった。
ただ一つ、父に初めて懇願して抱きしめてもらったことが、
自分の応えだった。
そして何かがスッと抜けた感じがした。
両親はゲイであることをうすうす感づいていたらしい。
ただ両親も、そのことを自分に直接聞けなかったようだ。
告白という対決は、自分のC妄想を覆した結果だった。
その日はただ、呆然とした。
※※※※※※※
しばらく経ち、この出来事をようやく整理できはじめた。
父は「夢じゃないのか」と思ったそうだ。
そして父から母へ。母は泣いたそうだ。
この告白で全て言えたかと言えば、そうでもない感じでいる。
なぜなら、この告白はあくまで自分のゲイというセクシャリティと
現状を言っただけで、それで何が解決かといえば、解決なんてない。
「言うか、言えないか」が根本にあってのこと。
そもそも解決するのは現状の整理であって、
セクシャリティがゲイであることは何ら問題がない。
むしろ、セクシャリティがゲイだからそうなんだとして捉えられるのは、もってのほかだ。
なぜなら、これは405として自分自身のことだから。
言えない力は、いつしか言う力に変わった。
今は心の安定が取れ始め、ようやく素の自分で進めそうな
そんな感じだ。
このことをブログに書くことは、自分への具現化です。
CSNメンバーの力、そして何より、このことに直接対決した
父にエールです。
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