5年目のレモンティ

「レモンティへ 元気にしていますか by P」
ゲイの交流ページでこの書き込みを見たのは、8月の終わりごろ。
わかる人でないとわからない、暗号のようなメッセージ。
私はこのメッセージをいち早く解読し、「バカみたい」で済ませていた。
「レモンティ」とは、私がかつて元彼(以降=P)の前でつかっていたハンドルネームで、
送信者のPは、P自身が名づけた「ピアティ」の頭文字だと気づいたからだ。
※彼について、ブログに少し記載していました http://npocsn.seesaa.net/article/72590052.html※
Pと音信不通になって、5年が経っていた。いや、私から音信不通にさせたのだ。
その間、私はPへ連絡を取ることをせずにいたし、近況すら尋ねようと思わなかった。
それでもふとしたときに思い出したりはするものの、
偶然に会うことを除けば、取り立てて会う機会はないだろうくらいになっていた。
そこへ突如、上のような書き込み。
淡い期待がよぎった。
Pの中で何か変化が起きたのか。
でも本当に連絡を取りたいのなら、直接メールをしてくればいいのに。
しかしPの性格を考えると、こういうやり方もなくはない。。
そもそも確信もないのに。
私が「バカみたい」と済ませたのも、
そう済ませないと、波立つ淡い気持ちが湧いてきそうだったから。
もし本当にPが私に連絡を取りたいのなら、ちゃんとわかるように連絡がほしい。
そう思い、私はPが書き込んだであろう画面をコピーして、保存した。
そして先週、そんな思いをいとも簡単に破った。
私には今好きな人(以降=H)がいて、Hに対しての不安定な想いに襲われていた。
その日は特に不安定で、それはまるでPとの交際が終わると決定したとき日の心境に似ていて、
私はPの膝枕でおいおいと泣いたのだ。
そんなことから、Pへ5年ぶりにメールをしたのだ。
今更やりとりをしたところで、私は何をしたいのだろう。
落ち着け落ち着け、何かあったらそのときはそのとき。。
“元気ですか?カラダを悪くしていませんか?いい人はできましたか?…”
ドキドキしながら送信ボタンを押した。
「送信中」から「送信しました」に切り替わるのを見て、アドレスが変わっていないことを確信した。
数分後、Pから“もしかして、405?”と返信がきた。
もしかしてとは…と考える間もなく“そのもしかしてです”と返信すると、
“久しぶりだねぇ。ずいぶん前に携帯壊れてデータが全部ぶっとんで、405のアドレスがわからなくなって…”と。
続けて“レモンティへで書き込みしたんだよ”についても、
私は“気づいていたよ”と返信すると、“返事くれればよかったのに…”と。
「何か用があるなら、そっちから連絡すればいいじゃない」という言葉を出したかったけど、
携帯が壊れてしまったのなら、この書き込みも正攻法のひとつのように思えた。
そしてPの現況を伺い知ったとき、当初書き込みで見つけたような淡さは消えていた。
Pは昨年、家庭の事情で私と交際していたときの地を離れ、実家に戻っていた。
私がPへメールをしたのは、Hに泣きたいほどの思いがあり、
その辛さから目を逸らすためにPへメールをし、膝枕で安堵したような救いを求めていたからだ。
それはHとの先が見えない不安定な思いを、
Pとの最後の日になぞらえることでHとの関係から逃げる浅はかな思考だ。
PやHに対しても、ましてや私にこれほどの不誠実さはないだろう。
感情は思考よりもカラダにビビットなメッセージを伝えるように、
どんなに逃げたところで、泣きたい思いに裏付けする恋心は消えて行かないのだ。
そしてPの“元気だけど幸せではないです”という一文に触れたとき、
私が安堵したいのは、もはやあの膝枕ではないのだと気づいた。
そして私の不安定な心境は、わずかなメールのやり取りによって正された気がし、
私はHと知り合ってまだ日が浅いのだ、泣きそうになりながらも見ていこうと心に留めた。
5年の歳月は、もうあの時のPでも私でもない。
これを機会にPとは「旧い友人」として接することができる。
ただ今日のような冷たい雨が降って、Pとのことを思い出すくらいは悪くないだろう。
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