中年モラトリアム

事業所への通所も一ヶ月が経ち、
少しずつ所内の雰囲気と、通うことに慣れてきました。
近頃では昼休みに職員の人達と話すこともあり、
ここには利用者も含め様々な経歴の方々が集まっています。
講義形式なので学校みたいなところですが、
あくまで会社をイメージした雰囲気と所内対応なので、
勤めに行ってる感覚です。
それでも電車通所や講義内容、所内の人間関係は疲れるし、
そんな思いをしても賃金がでるわけでもありません。
生産性がないのだから当然と言えば当然ですが、
それがかえって気持ちにゆとりを与えてくれます。
かつて不安定な仕事を渡り歩き、借金を抱えていた焦りや、
病気への不安と自己嫌悪が交錯した日々を送っていたのに、
今では色々な面で暮らしを守られながら、
社会経験があるのに今の事業所を利用できるからこそ、
そう思えるのです。
しかし、ここにはいつまでも居られない。
利用年数は限られ、何かを見つけることへのステップとして選んだのだから、
事業所へ通うことはあくまで通過点です。
仮に、次の目標ができて何かをスタートさせても、
日々淡々となにかをし、生きていくこと自体は何ら変わらない。
自己を実現するってなんだろう。
人生を達成させるってなんだろう。
問われてもいないこの命題を思うのは、
それともただ欲が出てきたからか、
私がまだ自身をつかまえきれていないのか。
そんなときだから、もう一度足元をみよう。
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