事業所の夏休みが明けた。
土日を含めた6日間だが、
夏休みという名目で過ごすなんて、何年ぶりだろう。
この間、
ケーブルテレビの配線点検とか、
診察に出かけたりとか、
お隣さんの音問題が再発したための話し合とか、
平日の代わりに用事を片付けることが多かった。
そのせいか、休みらしさが薄い感じがした。
それでも、
CSNへ行ったり、
ゲイ友と遊んだりもした。
それなのに
「夏休みが楽しみ」と思えたあの特別感が褪せているのは、
どうしたことだろう。
私が思う夏休みの特別感は、
日常の時間軸を気にしなくていい時間を過ごせることだ。
確かに用事があっても、
朝から身支度する必要もないし、
用事が済めば自由時間があったのだし、
そういう点では気ままに過ごしているのだ。
でも、夏休みだという特別感が褪せてるのは、
ワクワク感が伴っていないからだ。
夏休みは楽しいものと、
どうしてそう思えていたのだろう。
きっと休み明けの、
「夏休みはどうだった?」という問いに、
「楽しかった」と言わなくてはいけないような儀礼への、
ちょっとした反発なのかも。
ワクワクしないから、
夏休みではないとはならない。
セミのように、
わずかな期間だけを生きるかのごとく、
夏休みを謳歌するようなイメージって、
本当に楽しいのか。
夏休みが本気で楽しみと思えたのは、
きっと高校生くらいまで。
夏休みで存分に遊ぶぞと思えたのは、
たぶん20代くらいまで。
夏休みは一息つくためと思えたのは、
おそらく30代を通じて。
夏休みはただの休みで、
そう変わらないと思うのは、これからなのか。
夏休みのわずかな期間に楽しさを詰めるくらいなら、
普段から楽しいと感じられるように生きたい。
いつでもワクワクを。