「405さん、ちょっといい?」
今の事業所の所長と施設長に呼ばれ、
私は面談室へ入った。
「実はある企業の人材オファーに、
405さんを事業所の代表として推薦したい。」
あまりに突然だったので、私は事の経緯を尋ねた。
聞くところによると、
そのある企業(以降S社)は、障害者採用をこれまで取り組んできたが、
どうも軌道に乗らない。
前任者は、データの抽出でミスをおかしてしまい、
正社員というプレッシャーもあり、辞めてしまった。
この経験を踏まえ、今度は慎重に採用をしていきたい。
そこで、就労移行支援事業所で良い人材はいないか、探している。
とのこと。
そして、その採用したい人物像は、
ミスをおかさず、昼間の休憩でも普通に会話ができ、
自分で判断して物事をすすめられること。
だそうだ。
所長は、
「そのような人材を就労移行支援事業所、
ましてや精神の障害者から選ぶのは困難に近いと思っている。
そこで経験や様々な面から、私を事業所の代表として
推薦したい。」と言うのだ。
私はとまどった。
確かに、S社が求める人物像に近いのは、私なのかもしれない。
でも、私の抱える障害への理解がすすんでいない現状があるため、
S社がそこをどう捉えるつもりかを聞いた。
所長は、
「障害については、S社で考えてもらう。
そして、S社が求める人物像を移行支援事業所から
見つけ出すのは、たやすくないことも。」
私はこの言葉に押される感があったが、
まずはS社がどう判断するかを考え、
その場は推薦ということに承諾した。
数日後、S社から思いがけない返答があった。
“障害の内容はわかった。
ぜひ会ってみたいので、応募書類を送ってほしい。”
というのだ。
障害の特長を事前に把握、理解して、
その上で面接というS社の姿勢に、私は驚いた。
そして職員からは、
405さんは障害者としてはおいしい人材だとか、
障害特性を理解した上での面接はめったにないチャンスだとか、
あまり心地いい表現ではないものの、
励ましがあった。
しかし事業所としては、
企業からのオファーは喉から手が出るほどのものなんだなと、
利用者ながらそう思った。
ともあれ、私は先に障害を把握してくれているのなら、
安心して資料づくりに取り組めた。
できるだけ早めの方が印象はいいということもあり、
障害のことをよりわかりやすく表現したり、
つぎはぎの職歴に統一を持たせるなど、
資料を中2日で仕上げて送った。
条件面や就業内容に疑問はあっても、
まずは面接で聞けばよいことだと思っていた。
そして今日、出所するとすぐに施設長に呼ばれた。
面接日の打ち合わせかと思っていると、
「先方から、見送りたいと連絡があった。
理由は“その障害では現場は受け入れられない”ということです」
そんなバカな。
S社は、私の障害を把握し理解したから面接をしたいと言い、
私もそれならということで資料を作成したのだ。
それなのに、断る理由が障害を受け入れられないとはおかしい。
私の様子を察して施設長は、
「人事としては、ぜひともという気持ちがある。
でも働く現場にそれを伝えたところ、反発があったようです。」
人事と現場の疎通ができていないまま、
先走って人材を確保したものの、
いざ現場に伝えるとダメだしという、
典型的なコミュニケーション不足だ。
というよりは、なぜ資料を送る前にそれをしなかったのか。
私は、荒ぶる感情をコントロールしながら話した。
施設長も、事業所として残念な結果だと。
人事と現場の乖離は、企業ではよくあることなのかもしれない。
しかし、そのような体制の企業に採用された人材、
特に精神障害の場合は、混乱もするだろうし大変だと思う。
ここに、障害者採用の難しさを感じる。
「そんな会社、こちらから願い下げだよ。」
と言ってくれたのは他でもない、職員だった。
障害者採用を積極的に行いたいというわりに、
健常者並みの人材を求めている時点で、
考え方がまちがっていると。
そして私は、
「企業はそんなものなのかもしれない」からはじまる、
脚本引力への踏ん張りどころだ。