先週、実家へ行った。
ここ数年、実家へ行くと散歩を日課としている両親に付き合い、
変わりゆく街の様子を見て回るのだ。
実家のある街は市の中心駅からバスで20分以上はかかり、
周辺は林や田んぼといった手つかずの自然に囲まれている。
街といっても民間が開発した住宅団地で、
均一のコンクリート棟が整然と立ち並ぶマンモス団地だ。
かつては分譲のほか大手企業や行政の宿舎もあり、
総戸数2000の団地の中央には大手スーパーを中心とした商店街が広がり、
学校も団地内で2学区に分かれるほどで、
その人の多さからニュータウンにふさわしい活気に満ちていた。
しかし今となっては、全盛期の三分の一程度の規模となっている。
企業や行政の宿舎は完全撤退し、
私と同世代はここの団地から離れ、残された高齢の親達が住む街となった。
その過疎ぶりは、シャッター商店街を見れば推し量ることができるほどだ。
こうして実家へ行くたびに団地やその周辺を散歩して、
年々さびしさを帯びていく街を見て回り、時の変化を感じるのだ。
そこへ最近、戸建て住宅が建ち始めた。
宿舎を完全に取り壊し、空いた土地に戸建ての家を建てるという、
民営だからこそできる再開発の街づくりが始まったのだ。
団地内だけでなく周辺の林や田んぼも造成し、
少しずつではあるが人が戻ってきている。
戸建てができたことでコンクリート団地の雰囲気がいい具合に崩れて、
整然感のある団地と個性ある戸建てが共存するニュータウンが再生された。
空間が広がっているから、とてもすっきりして気持ちがいい。
そんな変わりゆく街を散歩しながら思い出すのは昔のこと。
昔の私とは違うとわかっていても、
あのときは子どもだったと思ってみても、
記憶とともに一気にカラダの血が逆流しそうなこの緊張は、
いつも実家へ行くたびに感じる。
街は変わって自分だけがそのままという、ありきたりなせりふがよぎります。
この緊張から解き放たれたら、きっと過去と現在が共存できるのだろう。