世界遺産に登録された富士山。
世間では随分と盛り上がっているようですが、
裏ではこのような事件が起きました。
山梨県忍野村。
山中湖に程近いこの村は忍野八海で有名ですが、
春には富士の湧き水によって育まれたソメイヨシノがずらっと咲き、
富士山が美しく見えるポイントとしても人気があります。
ですが世界遺産登録以降、
富士山の写真撮影に邪魔なサクラの木を、
何者かが切るといった被害が多発しているのです。
同様な事件が、長野県北佐久郡でもありました。
浅間山が望める鉄道の沿線で、
サクラの木が無断で伐採されて問題となったのです。
どちらも犯人は見つかっていません。
おそらく心無い写真愛好家が自身の撮影のために、
サクラを伐採したのではないかと囁かれています。
これはサクラだから騒ぎになる側面があります。
大方の日本人は、サクラに情緒的な気持ちを抱きます。
もちろん誰もが好きだとは限りませんが、
これがサクラでなかったらこのような騒ぎになるのでしょうか。
私はある条件が整わないと、騒ぎにならないと思います。
その条件とは、大多数が共通して讃えるシンボリックです。
サクラのシンボリックとは、
江戸時代には春を告げる証しだと言われ、
近代から戦時中はその散る行くさまから精神論に結び付けられています。
ただ美しいだけでなく様々なシーンで日本の文化に根付き、
それが脈々と受け継がれているところにサクラのシンボリックな要素がある。
つまり、サクラは日本人の精神を代表するものだと言えるということです。
もしそうであると仮定するなら、
サクラを切られるということは、こころを切られたような錯覚に陥るところに、
サクラの伐採騒動が問題視されるのでしょう。
もしサクラではなく、けやきだったらどうでしょう。
特にシンボリックでない植物がへし折られても、
見向きもしない人が多くいるのも事実です。
これも日本人の素養を現しているようにも思います。
でもある人によっては、名もなき植物にシンボリックを見出す人もいるのです。
富士山のみならず全世界で上がっている世界遺産を、
いったいどれだけの人がそのことを知り、見ることができるのでしょうか。
わずかな人々の中で評価を競わせ名を上げても、
単に観光資源の徴収にしかすぎないように思います。
観光資源のために世界遺産という評価に浮かれ、
かえって自然を荒らすことのほうが貧しいと思いませんか。
名もなき植物にこころを寄せてみるのも、ひとつの遺産です。