中学生の頃の話です。 運動音痴でナヨっとしていた自分は、 クラスでも所在なさげな感じでいました。 というのも「スポーツができないと明るくしてはいけない」という 勝手なイメージを持っていたことや、 当時流行っていたファミコンやサッカーといったものに興味を持てず、 なかなかクラスに馴染めなかったのです。 それでもクラスの輪に入りたくて話しかけに行ったりもした。 でも「お前に話すことはない」と言われたり、 クラスのレクリエーションのチーム分けではいつも最後まで選ばれない、 そしていつしか黙ることが多くなった。 今でも思い出す卒業式の日、 周りがはしゃいでいるのを横目に、 自分はずっと寝たふりをしてその日を過ごした。 高校に行けばそんなことはなくなるという期待を胸に。 しかしその期待は、入学式当日に 同じ中学出身の子に「お前の中学時代のときのことバラすぞ」の一言で、 一瞬にして高校時代も暗いものとなった。 人とコミュニケートしたいけど、 そのままの自分ではクラスではやっていけない。 そんなことから自分は「こすっからさ」を身につけた。 興味のない話でもあたかも好んでいるかのように話す、 別にする必要もない悪さをしてみる。 全てが自分から乖離している状態であったけど、 それが学生時代を渡り歩く手段だった。 当然社会でもそうしてきた。 本来の自分を出すこと、気持ちを話すことへの抵抗は、 学生時代の「お前になんか…」の一言がネックとなっていたのです。 その反動は自分自身を苦しめることで、存在否定感を味わうことだった。 それが脚本の一部であった。 きっと、会社勤めでもそれが往々にしてあったのだと思う。 今の就業先ではリハビリとして称して勤務しているけど、 何かにつけてああでもないこうでもないと思うのは、 どれも自分の問題であり、脚本の足がかりでもあった。 TAを改めて学び、就業しているときの自分の気持ちの変化を見つめ、 「自分が自分でいいこと」を実感として得てきている。 その傍らにはCSNのメンバーがいる。 どんなに運動音痴だろうが、 どんなにナヨっとしていようが、 どんなに自分の感情をぶちまけようが、 それを受け止めてくれる人がいる。 少しずつ、過去の呪縛から解き放たれている。
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