両親の「C」・自分の「P」

今年は自分のことだけでなく、
親戚関係でも色々なことがあった。
特に親戚の叔父連中が、次々に病に侵されていた。
脳卒中、大腸ガン、心臓動脈なんちゃら。。
いくら叩いても元気と思われた叔父連中が、
自分の目の前で病に伏せている。
次々に見舞う日々。
そんな中、自分の父も病にかかった。
父は「死ぬのは怖くない」と言いつつも、
自分にはそうは聞こえなかった。
そんな父は軽度らしいが、他の叔父達は後遺症が残るほどで、
父自身が病でありながらも、叔父達を見舞う。
その様相は、子どもの頃に見た「元気ハツラツ、大酒のみ」の
イメージから程遠い。
切なさよりも、これが老いていくことなのかなと。
脳卒中の叔父とは2ヶ月ぶりに会い、
たどたどしい言葉で「オトナになったなぁ」と、
自分の顔を見て笑った。
父親は「来年になったら、みんなで旅行に行こう!」と、
自身の不安を隠すように笑う。
不安ではないのだろうか。。。
ただ「自分は病だ、死ぬなんて怖くない」という響きは、
自分に対しての隠れたメッセージに思えて仕方がない。
見舞った帰り道、
母は初めて「一緒に父さんの診察結果を聞いてほしい、こわい。。」と言った。
母にはめずらしいことだった。
それを聞いた父は「よろしく頼む」と。
幼い頃から両親を早くに亡くし、
親の愛情を知らずに育った両親には、
きっと自分の育て方も分からないことだらけだったと思う。
そうして自分は様々な苦難があった。
両親は両親の知らないことを、
子どもの自分に聞くことも確認することもできなかった。
そういう人なんだ。
それを感じた瞬間、自分の中に自分の「P」が生まれた。
両親の「C」も、自分の「C]も、受けていこうと。
多分、これが今まで自分に起きたことの総括的なことのように思う、
今日この頃。
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