フランケンシュタインと呼ばれて

幼稚園の頃、
園内で行進の練習をしているとき、たまたま後ろの子に押されて、近くにあったバラ園に突っ込んでしまいました。
キレイなはずの幾多のバラが凶器になり、その棘により自分の顔には無数の傷がつきました。
今の時代なら訴訟を起こしかねないこのことは菓子折りでことが済み、親は親で忙しく働いていました。
そして今でも、自分の顔に薄く痕として残っています。
当時の傷の様子から、
園児や住み込みの子どもらには当時の体格もあって、フランケンシュタインと言われた。
純粋な感想ゆえに、強烈な言葉の応酬。
本当の子どもの感情だけに、配慮のない狂暴さ。
傷は薄くなるけど、
記憶は薄くならない残酷さ。
純粋という言葉の大きさを知り、発する責任は大人の感情の役目。
確にそうだ。でも時々思う。そんなこと知ったことではない。
自分は自分なりに、他人は他人なりに傷をつくって生きてきたこと。
どこかに痕がありうずくから、それを変える認知がある。
でも時々痛む傷は、フランケンシュタインと言われた自分の感情の証として、反動形成的に外見にこだわり続ける。
さ、自分はフランケンからバラになるのか
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