誕生日の過ごし方

  昨日私は六十ン回目の誕生日を迎えた。
そこでしみじみ来し方を振り返り…なんて優雅なことはなく、
大根のステーキをつくって食べ、相変わらず天才的な我が料理の腕に
うっとりし、選挙のニュースを見てうんざりし、ケーキがないので
代わりにチョコレートをボリボリかじりながら、この間実施した
7人分のTATの逐語おこしをしていたら、つい食べ過ぎてげんなりして
寝たのであった。
 そこで一夜明けた今日、ブログを書くにあたって僅かなりとも
我が人生思い起こし、何かスッキリしない今日この頃のこの気持ち
見つめ直してみようじゃないか、と沈思黙考、審念熟慮…なんて
ご大層なもんでもないが、まあ、PCの画面見ながらちょっと胸の内
覗いてみた。
 昨日の新聞は、来る選挙について「自民過半数の勢い」と報じている。
その脇に「発達障害が小学生の6.5%にのぼる」という記事もある。
「6.5%!」、思わず大声を出すと夫が「何?」と怪訝そうな顔で聞く。
「ねえ、投票用紙が届いてるけど、選挙行く?」「う~ん、わからん」。
小沢ファンの夫もさすがに今度ばかりはねえ。
 うかうかしてると憲法改正されちゃうぞ。
金融緩和でインフレ起こすとか言って、円は下がり株価は上がり、
グローバル資本主義はますます跋扈し、貧乏人はますます苦しくなる。
生きづらい人はますます増え、エクスクルージョンがますます進行する。
かといって、「原発反対!」「TPP反対!」の「白か黒か」発想には
単純にのれない自分がいる。
 それにつけても思い出すのは「安保反対!」のシュプレヒコール。
あれって、やっぱり「白か黒か」の思考停止だったんだろうか。
現実に安保がなかったら、日本はどうなっていただろうか。
国防に巨額を費やし、早々に徴兵制度が復帰していたかもしれない。
今頃は核兵器だって持ってたかも。
 「アメリカの属国」と揶揄されながらも、私たちの世代はその大きな
恩恵を受けて来た。「矜持か金か」。あの頃は単純に「矜持」と思って
いたけど、果たしてそうか。人間はそれほど強くも清くもない。
 発展の陰で切り捨てられた多くの弱き者たち。
それでも日本では今までになかったほど長く戦争のない日々が続き、
「矜持より金」の価値観は強まるばかり。
しかし、それほど頑なに守ろうとした「矜持」って、本当のところ何だったの?
一皮むけばつまらないプライドと稚拙さの産物じゃないの?
だから60年や70年を生きた青年たちは、次々と体制や企業の中枢に取り込まれて
しまったんじゃないの?
 多くの左翼青年たちが夢想した共産主義革命は、たとえ六全協がなくても
成就はなかったろう。儚く散った夢の残骸を抱きしめて海を渡った
一握りの若者たちもいたけれど、彼らのことなど世間はとおに忘れ果てた。
しかし今、「××反対」を叫ぶデモ隊の人々、ネット上のツイッターで
匿名で呟く若者たちは、果たして彼らほどのリスクがとれるだろうか。
 こんなにも激変してしまった世の中と、芯のところは一向に変わらぬ人間。
今私たちが真に戦うべきものは何だろう。それは、畢竟自分自身の内に
あるのかもしれない。
 もやもやした気分でいた数日前、本当に久々にTVで流れたこの曲。
「金八先生」の最初のシリーズ、「腐ったみかん」篇のワンシーン。
プロデューサーの独断で丸ごと一曲流されて以来、ずっと封印されてたという。
誕生日を間近にして奇しくも再会したこの曲を聞きながら、改めて自分の内側を
検証してみるとするか。
  
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