ワールドな人々・その3

 もうしばらくは「ワールドな人々」に出会うこともないだろうと思っていたのですが、何と今日3人目のその方にお会いしました。その名は信田さよ子先生、所はサントリーホールです。信田先生率いる「原宿カウンセリングセンター」の10周年記念のイベントに行って参りました。演目はハープの演奏と先生の講演。実は私、ナマ信田(失礼!)は初めて。ちょっとワクワクでした。
 雰囲気のある小ホールで、格調高いハープの演奏。「あゝ、私たちも10年後(正確には8年後)にこんな記念イベントができたらいいなぁ、でもそのときはハープじゃなくてやっぱりギターよね」などと勝手な妄想を膨らましつつ、隣の席のおじさんの微かないびきばかりが気になるなかで、演奏終了。いよいよ信田先生の講演が始まりました。題目は「アダルトチルドレンから共依存まで」という、まさに信田ワールド豪華オールキャスト。ワクワク度いやでもアップ。
 さて、お待ちかね、信田先生の登場です。まず声がいい。話し方もソフトで流れるようで、そのくせ時にベランメーになったり、お茶目っぽくなったりと、語り口のワザも巧みで、「いやぁ、頭のいい人は違うなぁ」と感心しきりのかなりんでした。最近沖縄でかの上野千鶴子大先生と対談なさったとのこと、さぞかし面白かったことでしょう。
 
 それではここで、印象に残った「信田語録」を幾つかご披露に及んじゃいます。
「センターを立ち上げたとき、戦闘相手として意識したのは精神科医。だって私たちは診断もできなければ、薬も出せない。何より保健がきかないから、医者の10倍くらいの料金を頂かなきゃならない。医者に出来ないことをやるしかないって思いましたね。」
「ちょうど10年前、『被害者』という言葉が大手を振ってマスコミに登場し出した頃、アダルトチルドレン(AC)という言葉が大流行しました。この言葉がシャーレの中の菌のように日本中に増殖したのは、そういう社会背景と無縁ではないと思います。」
「ACという言葉は、それまで日本で信じられてきた『家族』のイメージにひびを入れたのです。『家族』というものが、いかに不平等な力関係に満ちているかということを暴いた。いわばタブーに触れたんですね。だから当然バッシングも相当あった。学会なんかでエラーい先生に『人間には責任というものがあるだろ』と言われて、『はい、そうですねー』ってにこにこしながら答えて、何とか乗り切ってきたのね。」
「今まで家族内の暴力は『愛情』という名のもとに隠蔽されてきた。また、ある種の左翼系の人達にとっては、『家族』は国家権力の入り込めない唯一のサンクチュアリでもあった。DV法の成立に一番反対したのは彼らですよ。」
「家族の理不尽な言動を女性がじっと堪え忍ぶことで、家族の崩壊を防いできたというけど、本当に彼女たちは一人で耐えたのか?その恨み辛みを子どもに垂れ流すケースは多い。それが思春期に3倍返しされるのね。」
「日本では『共依存』と言う言葉は、最初余り流行らなかった。アメリカは『個人主義』『自立』という理念を基に国家をつくった珍しい国だから、『依存』というのはものすごく人を傷つける言葉なんですね。最近日本でもしきりに『自己責任』ということが言われ出して、そしたらここ数年でこの『共依存』という言葉がじわりと浸透してきたのよね。」
「親になるということは、十字架1本背負うことです。私は二人産んだから十字架2本ね。」
 最後の言葉は、会場の「親がなるべく悪い影響を子どもに与えないようにするにはどうしたらいいか」という質問に答えて(因みに質問者は若い男性でした)、「それはどうしようもないわね、不可避的なものだから。」と明快に言い切ったあとでの言葉です。「それでも何とか乗り越えて生きて欲しい、と願うしかないのよ」と続きました。ホント、その辺実感ですねぇ、同世代ですねぇ、女ですねぇ、と共感しまくる私でした。
 
 実は私も一つ、そんな先生に、今抱えているケースがらみで「逆DV」に関する質問をしました。先生のお答えは「DVとは、強者から弱者に向けたものを言うので、女性から男性への暴力にDVとレッテルを張るのは間違いだと思います。」という、これまた明快なものでした。私も「逆DV」という呼び方には違和感を持っていたので、百万の味方を得たような気分になりました。ワールド人に感謝!です。

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