今日は、午後からカウンセリングが3件入っていました。偶然ですがクライアントさんは3人とも30代の男性でした。かなり長く継続して通っていらっしゃるところも共通していました。
特に意識したわけでもないのに、予約を入れていくうちにこうした共通項を持ったクライアントさんが同日に集中するということは、ままあります。ときには30代の仕事を持った女性ばかりだとか、何らかの福祉的仕事に携わっていらっしゃる方が続くとかです。勿論共通項といっても年代と性別、職業の有無くらいのところで、ケースの内容はそれぞれ独自のものなのですが、それでもこういうときは不思議にケース同士がどこか深いところでつながっているような感じがすることがあります。今日もそんな感じがありました。
こういうことはカウンセラーにとっては非常に意味あることです。カウンセラーというのはクライアントさんによって多くのものを与えられる仕事ですが、今日のような感じは特に自分を生かしている何か見えない力というか、人の操作の手が届かぬ何ものかに深く気づかせてくれる貴重な体験となります。
河合隼雄先生の言う「布置」というのはこんな感じなのかな、と思います。カウンセラーが何かを意図して動かなくても、自ずとクライアントさんとの間に一筋の道がすーっと見えてくるとでも言いましょうか。そしてそれは図らずも同時期に取り組んだ、一見ばらばらに見えるケースが、見えない糸でつながれる星座のようにカウンセラーの心の内奥に立ち現れる瞬間でもあります。それはカウンセラーにとっての深い気づきであると同時に、不思議なことにクライアントさんにとってもそうなることが多いのです。
人は絶望的に孤独であり、だがそれ故にその孤独をそれぞれが担って生きることでつながり得るのだなぁと思います。「関係を生きる」ということは、人と意図してつながろうとすることではなく、人の手の及ばぬ大いなる力が生み出す「布置」に敏感に気づくことなのかもしれません。