避けては通れない道

「カウンセラーはクライアントを映す鏡」
十数年前、カウンセリングを受け始めた頃によく思っていた。
当時はそのことを心地よく感じていた。
自分にとって受け入れやすいことだけ映っていたから。
自分にとって受け入れやすいことだけ見ていたから。
「カウンセラーはクライアントを映す鏡」
四年くらい、カウンセリングを受けつつ、カウンセリングを学んできた。
最近になってまた、この言葉を思い浮かべるようになった。
この言葉に含まれている、知らなかった意味にようやく気付いてきた。
できれば知りたくなかった意味に。
鏡には自分がまるごと映っている。
受け入れがたい自分も含めて映っている。
見たくないものを見てしまい動揺している自分も。
見なかったことにして逃げようとしている自分も。
見たくない。聞きたくない。感じたくない。
到底受け入れられない。そんなの自分じゃない。
無かったことにしたい。全部放り投げたい。
ただただ、安らかな気持ちで過ごしたい。
それが本当の願いなら、それを叶えることは簡単だ。
カウンセリングを受けなければいい。
別にカウンセラーに強制されているわけではない。
自分でカウンセリングを受けないことを選べばいい。
気づいてしまったことは、気づかなかったことにしよう。
カウンセラーに限らず、他人は皆、僕を映す。
どうしても映ってしまう。嫌な自分を見てしまう。
だから、ひきこもることが必要だ。
独りでじっとしていれば、いずれ感覚も麻痺してくる。
あるときひょっこりと、暗い影が首をもたげてくるかもしれない。
そのとき僕はおびえながら、眠りにでも逃げ込むのだろう。
心に蓋をしてしまえば、靄の中で全てが曖昧になってくれるはずだ。
そう信じて、僕はひきこもって生きてきたんじゃないか。
後戻り。後戻り。
過去の自分へ後戻り。
何ひとついいことが無かったようにさえ思える過去へ、
執拗に引き戻そうとする何らかの力を感じながら、
蜘蛛の糸にすがりつくような気持ちで、
おそらく主体的に、僕はカウンセリングを受けている。
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