「王様は裸だ」と言う勇気

「裸の王様」という話は誰でも知っていると思います。
僕も知っています。
でもかなり昔のことなのでうろ覚えではあります。
 馬鹿には見えない布地で服を作ったという詐欺師がいて
 王様は見えていないのに見えるふりをして「素晴らしい」と言い
 家来たちも見えていないのに「素敵なお召しもので」と言い
 パレードの見物人も馬鹿と言われたくないので見えているようにふるまい
 でも その中のひとりの少年が「王様は裸だ」と叫んだ
といった話だと記憶していて、
調べてみてもだいたいそんなような話ということでいいようです。
 少年が「王様は裸だ」と叫ぶと
 ついにはみんなが「王様は裸だ」と言い出した
といった感じのオチのようです。
このオチが最近リアリティがないように感じられてなりません。
少年「王様は裸だ」
市民「・・・(無言)」
家来「・・・(無言)」
王様「・・・(困ったことになったなあ)」
そのうちに、王様に取り入っているひとりのずる賢い人間が
  「何言ってるんだ、少年。王様が裸なわけがないだろう。
   なあ、そうだろう、みんな。王様は素晴らしい服を着ているだろう。」
家来「・・・そ、そう。そうですよ。」
市民「・・・そ、そう。そうだよねえ。」
王様「・・・そ、そう。そうだ。当たり前だろう。私が裸で街を歩くわけがないだろう。
   おい、誰か、この無礼な少年をひっ捕らえよ。」
家来「・・・は、はい。」
市民「・・・お、おう。そらあそうじゃのう。」
少年「おい、お前ら。何を言い出すんだ。馬鹿じゃないのか。
   王様はどう見たって裸じゃないか。そんなこともわからないのか。」
少年以外
  「わからずやの馬鹿野郎はお前だよ。少年。お前は頭がおかしいのだ。
   牢屋の中で少し頭を冷やしてこい。」
そして少年はその後行方知れずになり、
王様と家来と市民は何事もなかったかのように今までどおりに暮らしました。
みたいなストーリーのほうがリアリティがあるように感じられます。
私は、
現在の日本社会にどっぷり浸かってしまっているからか、
そのように感じられてならないのです。
私に「王様は裸だ」と言う勇気があるでしょうか?
いざ、そう言わねばならない場面になったとき、はたしてそう言えるでしょうか?
誰かが「王様は裸だ」と言ったときに、
「おう、そうだ。オレもそう思う。誰が何と言おうとオレはそう思うぞ。」
と、一緒になって立ち上がることができるでしょうか?
常日頃から「王様は裸だ」と考えてはいるものの、
いざ「王様は裸じゃないよな?お前もそう思うよな?」と怖い人たちに言われたり、
「王様は裸ではない。裸だと言うものは死刑に処す」という法律ができたり、
そうしてもなお「王様は裸だ」と言い、ひどい目に遭わされても主張を曲げない、
その覚悟が、はたして、私にはあるでしょうか?
実際にそういう事態になってみないとわかりませんが、
私はそうありたいと思っています。
「王様は裸ではない」という多数派に囲まれて見せかけの平和の中で生きるより、
「王様は裸だ」といって村八分にされる少数派でありたいと思っています。
昨日、菊次郎さんの映画をあらためて見ました。
気分が暗くなり、考えることが悲観的になりました。
でも、そのほうがいいとあらためて思いました。
そういう生き方のほうが楽だし、無理がないし、自分らしい、
そのようにあらためて感じられました。
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