かなりんのW杯談義はテーマが深く、応えるのはなかなか難しい。
そこでまずは、僕のサッカーファン遍歴を書こうと思う。
話のすり替え?ノンノン!
最後マデ読ンデモラエレバ分カリマ~ス♪
昔からテレビでスポーツを見るのは好きだった。
野球に限らずあらゆるスポーツが好きで、サッカーはその一つだった。
はじめて見たのは確か高校サッカー。
「PK合戦」を「BK合戦」と聞き間違えたのを覚えている。
サッカーファンになる決定打になったのは、
85年のトヨタカップと86年のW杯メキシコ大会である。
僕にとっての最初のアイドルとなったミッシェル・プラティニ。
白と黒の縦縞のユニフォームを着たお洒落な将軍。
ユベントスを率いる彼のプレーに魅せられた85年。
86年W杯は当然のようにプラティニとフランス代表を応援した。
ちなみに日本はまだ出場できていない。
NHK山本浩アナウンサーの名実況から、
「メキシコの青い空」と称されるアジア最終予選。
木村和司の伝説のフリーキックなどはあったものの、
今にして思えば内容も結果も完敗。
相手は韓国。
当時の僕に、韓国に対する無意味な敵意を植え付けた。
86年大会は「マラドーナのためのW杯」と呼ばれるほど、
ディエゴ・マラドーナのサッカー史上二本の指に入る才能が輝いた大会。
僕の願いはそのマラドーナをプラティニが決勝で打ち負かすことだった。
両雄の対決は世界中のサッカーファンの願いだったと言ってもいい。
それを打ち砕いたのは当時の西ドイツ。
あろうことか準決勝でフランスに勝ってしまった。
ナニをすんねん西ドイツ!
僕の興味は決勝でアルゼンチンが西ドイツを叩きのめすことへ移行した。
決勝戦は期待通りにアルゼンチンが2点先行。
ホレみたことか西ドイツ!
ところが、
西ドイツは残り17分から2点を取り、追いついた。
結局はアルゼンチンが勝ち越し点を取り、優勝するのだが。
この試合は僕に奇妙な心境をもたらした。
にっくき敵役であったはずの西ドイツに対し、
何故か好感をもち、そして大ファンになってしまったのだ。
「点が極端に少なくて、逆転などは極めて難しいスポーツ」という認識を、
当時の僕はサッカーに対して持っていた。
だから一番好きなスポーツは野球で、土壇場でのドラマが大好きだった。
西ドイツは逆転こそできなかったが、
僅かな時間で2点差を追いつくという、かっこいいドラマを演じてくれた。
僕の認識を覆すにはそれだけで充分だった。
「ゲルマン魂」という言葉の響きのかっこよさも手伝い、
一度嫌いになった人やものに対する認識を滅多に覆さない僕に、
唯一といってもいいかもしれない例外をもたらしたのだ。
敵意が薄れるまでに相当な時間を要した韓国とは対照的に。
《続く》
ぁ、
最後マデ書ケマセンデシタ。
続キヲ楽シミニシテクダサ~イ!
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