小心者の脚本

今日、TAの授業で「脚本」を勉強しました。
(脚本について分からない方は、用語解説を参照!)
脚本には「成功者の脚本」「失敗者の脚本」「小心者」の脚本の
3種類があるのだと。
(かなりんは、成功者の脚本なんてない、成功者とは脚本から脱却し
た人のことだ、と言っていましたが)
私は間違いなく「小心者」の脚本です。
小心者の脚本の見本ではないかと、思う程です。
平凡でいることが何よりも安心。
何かしたいことがあっても、失敗するリスクを考えると、そんなに
楽しくはなくても、このままの方が幸せじゃないのかと思ってしま
う。
失敗することを考えると、不安でたまらなくなるのです。
最近、それって本当につまんないなって思います。
失敗はないけど、成功もないなんて。
ただただ、平凡に何事もないことを願いながら毎日を送るなんて、
楽しくない!と思うのです。
でも、そう思うだけ、まだマシかもしれません。
以前は、その「つまんない人生」が当たり前だと思っていて、人生な
んてみんなそんなもんだ、と思ってましたから。
成功なんて、一部の選ばれた人間のものであって、「その他」の人間
は、みんな人生を淡々を終えていくのだと。
何が「成功」か、なんてその人が決めることであって、一般的にこれ
が「成功」だ、なんてものはない。
自分の中にある「これがしたい」とか「わくわくする」とか、そうい
ったものを、もっと大事にしていくことが重要なんではないかと。
そういう意味では、これまでの私は「幸せ」とか「成功」の尺度は
私の中にはなく、「世間」にあったような気がします。
こういうことをしたら周りの人はどう思うか、とか、評価してくれる
かなー、とか、すごいとおもってくれるかなー、とか。
そんなことばかり気にしてたから、「自分のやりたいこと」ではな
く、「周りからすごいと思ってもらえること」をやっていこうとして
いました。
その結果、自分の「~をしたい」という気持ちとか、「わくわくす
る」という気持ちが、随分遠くにいっちゃたなーという感じです。
自分で自分のやりたいことがわからなくなるほど、自分の気持ちを
遠ざけていました。
そして、そうしないと、周りから評価されることをしていないと、
自分は受け入れてもらえないと思ったのです。
そういう自分がいるということを冷静に見つめつつ、リスクをとりな
がら、自分のやりたいことを育てていけるようにしたい。

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