レンタルフレンドというサービスが生まれている。
行きたいお店があるけど一人では心細い。
誰かに話しを聞いてほしい等々、
いわば性的サービスのないデートクラブといったかんじだが、
なんだか人間関係を築きにくい人へのヘルパーのような印象だ。
ケースにあがっていたのは、30代の独身男性。
月一回、車で東京にやってきて、
待ち合わせていた女性と共に買い物やイベント、観光地など
様々な場所へ行く。
世間話をしながら色々見て回ったり、食事をしているうちに、
いつしか身の上を話をポツリと話す。
そして別れの時間に、料金として数万円を女性に払う。
この女性こそ、レンタルフレンドのスタッフなのだ。
利用者は、様々な動機でこのサービスを使うようだ。
この男性は長年交際した女性から別れを告げられ、
納得がいかずにストーカー行為のギリギリまで及んだとき、
このままではいけないとこのサービスを知ったそうだ。
記事を読み終え、一抹の寂しさを感じた。
それはレンタルという手軽さで一時の人間関係が作れてしまい、
それが微妙な潜在需要とマッチしている点だ。
知人だと話しにくいが、専門家に相談するほどでもない。
じゃあ誰でもいいかといえばそうでもない。
そこへこのレンタルフレンドが介入し、
知人でも専門家でもない人と定期的に会い、一時の満足を得る。
しかしビジネスである以上は、対価を払えなければ会えない。
現実逃避だとか代償行為だとかいっても、その場をしのげればいいのだろうか。
先の男性は、当初お金を払って女性と会うことに抵抗があったらしいが、
この女性と色々なところへ出かけ、心のうちを話すうちに、
嫌なこととか忘れられ、これでいいと思うようになったそうだ。
金を払うから欲しいときに居ればいいというのは、
人間関係の希薄さを更に助長しそうだが、
それでも居てくれればそれでいいのだろうか。
別にフレンドだから特別なのではなく、
セクシャルなものや出会い系SNSも似たようなものだ。
レンタルというカジュアルな感じのしない、
現代を象徴するような表裏のあるサービスだ。