Where is 実家?

この文の草稿は昨日の午後3時頃、メモ帳に書きとめた。
この時点では書き納めるとか書き初めるとかいう意識は極めて低かった。
暮れと正月は誘いもあったけれど結局1人で過ごすことを選んだ。
TA用語は使いこなせるほど習得していないが、
脚本とかラケットとかいうあたりが発動したんだと思う。
紅白の前座のような番組をなんとなく見ていた。
実家に帰れば必ず紅白を見るが、
親へのわだかまりがあり、1人のときは見ない。
昨日はアンチ「アンチ紅白」だったのかもしれない。
子ども時代の歌がその時代の出来事の映像とともに流れていた。
僕が乗っかっていた懐かしいブームの映像があった。
中学時代くらいまでいって、浅草漫才の番組になった。
結構楽しんでいて、ふと思った。
ここは東京なんだなあと。
僕の生まれ育ちは大阪。
厳密には尼崎だから兵庫県だが。
テレビにはお笑い番組があふれていて、
玄人はだしの芸人のような人がいる町。
東京では「お笑い」を意識しなくて済むので気付かなかった。
僕はかなり小さなときから生きることに苦労していたらしい。
尼崎の子どもの社会では面白いことが一番のステータスだった。
お笑い偏差値が低く、運動やケンカの偏差値も低い僕には、
勉強や雑学の偏差値を相当高める必要があったのだろう。
スーパーカーやブルートレインの知識が仲間内で一番で、
「博士」の称号をもらうほどだったのも必然だったのかもしれない。
努力は楽しいものだったが、1人でやるものでもあった。
実家は引越して今は岡山にある。
以来、盆と正月は必ず帰省する慣習が打ち破られた。
両親にとって岡山は故郷だが、僕には「縁のある所」程度のものだ。
懐かしさのない、なじみのない、つまらない場所。
それに加えて数年前にした辛い体験は未だ未消化のままである。
はっきり言って帰りたくはない。
実家は何処?
心の中に「実家のようなもの」があるとすれば、
正月に「引きこもる」ことにも説明がつく。
お正月はなんだかんだ言って実家に帰る。
結局僕は「親の教え」を忠実に守っているのか?
いかにして年を終え、年を越すか。
いかにして振り返るのを止め、前を向くか。
何かと決別する決断が必要だ。
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