「自由」と「不自由」(その3)

まず最初にお断りしておきます。
このテーマで書くことはとても興味深いのですが、
「自由」について深く考えたわけではありません。
なんとなく・・・で書いています。
今、バイトから帰ってきたところです。
ある意味では、バイト中は「不自由」で、
今は解放感もあり、「自由」といえます。
でも、ブログ書かなきゃ!なんです。
そういう意味では「不自由」です。
では、ブログを書くことをやめちゃえば、
「自由」になるのか?
たぶんそうでもないと思います。
罪悪感が僕を不自由にすることでしょう。
とても具体的な「感じ」を挙げています。
でもこれらは「相対的」なものです。
絶対的な「自由」あるいは「不自由」とは何か?
ていうか、そもそも「自由」って一体ナンジャラホイ?
・・・僕のレベルはこの程度です。
まあともかく、主観を書きます。
僕の中では、という限定ですが、
「自由」と「不自由」は対義語ではないように感じます。
というのは、感じとして、
「自由」はあまりピンとこないんですが、
「不自由」はよくわかるんです。
経験上ですね。
いろいろなものが僕を制限していた時期がありましたから。
それは、意識的にせよ、無意識にせよ、
自分自身がそうしていたんです。
では、今は「不自由さ」は感じないのか?
そういうときもやっぱりあります。
例えば「電気料金払わなきゃ!」だとか、
さっきも書きましたが「ブログ書かなきゃ!」だとか。
僕の「不自由」はずいぶんと小粒になったもんです。
じゃあ大粒って何さ?
今だからなんとなくわかることですが、
なんだか高尚な意味での「不自由な自分」であることに、
半分無意識でですが、
自分自身で酔っていたようなところがあったように思います。
詳しく書くと結構なエネルギーがいるので、
「若気の至り」ってことで今は済ませておきます。
そういうのから解放された、という意味において、
「自由になった」と表現することはできます。
でも、やっぱり、
「自由って一体なんだ~い?」状態です。
このテーマだと僕の場合、
やっぱり尾崎豊を思い浮かべちゃいます。
彼の作品の登場人物も、
そして彼自身も、
とても不自由なように感じます。
 誰にも縛られたくないと
 逃げ込んだこの夜に
 自由になれた気がした 15の夜
このフレーズが象徴的です。
「気がした」んですよ。一瞬ね。
話がそれました。
それよりも話がうまくまとまりません。
まあオチをつけることもないんですが。
あっ、オチに縛られてる(笑)
これで終わるのも気がひけるので自己要約。
「不自由さ」は結局、自分次第だということですね。
これをクリアするのは全く簡単なことではないし、
社会的な差別なんかに話を広げると、
自信はなくなってくるんですが。
それと、
かなりんの言っていることと通じるのかはわかりませんが、
「不自由」も時には楽しいものだと思います。
仕事もそうだし遊びもそうだし、
ブログを書くこともそういうふうに感じますね、やっぱり。
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